「あっつ……」
宇宙服のバッテリー節約のため、温度調節のためのモーターは作動させずに、カナンはひたすら煙を目指して歩いていた。
この星の重力はカナンの星の約1.5倍。
カナンの星で60kgの人間が、ここでは90kgになる。
その負荷が地味に体力を削っていく。
また、大地は鉱物で出来ているかのように硬く、大気が薄いのかそれとも地熱のせいか、かなり熱い。
宇宙服の中は汗のせいで随分と湿っていた。
塩分と水分を補給しなければ、脱水症状を起こしてしまうだろうが、救助がいつ来るのか分からない今、貴重な飲料水を無計画に飲む事はできない。
「まあ、明るいのが唯一の救いって言えばそうだけど」
文明を持つ星の多くは、太陽を模して作った人工的な衛星を光源として持っている。
人類は遙か昔に、スーパーアースを探すよりも、それを造り出す方が遙かに効率が良いことに気づいた。
適当な場所に星を造り、さらに光源となる衛星を造る。それを24時間を一サイクルとして、くるくる星の周囲を回らせる。
実際、カナンも警備兵として宇宙で生活するようになったが、船の中の照明は24時間サイクルで光に強弱が着いている。
地球に始祖をおく生物にとって、そのサイクルは体内のバランスを保つためにも重要だった。
光源となる衛星と生存する星を分けたのは、その方が”しっくりくるから”という単純な理由だ。
そのことに関して、今までカナンは深く考えたことはなかったが、実際こうして発光している星に降りてみると、違和感がかなり強い。
「コケの一種かなぁ、これ」
灰色の大地は、それ自体が光っていた。
正確には、黒い大地についた白いコケのようなものが、発光している。
PAL12309星の光源となっている衛星ほど強い光ではないが、月の光を反射する雪よりも、明るい。
お陰で随分遠くまで見渡せる。
フォボスで調べればすぐにその正体は判明するだろうが、カナンは好奇心を満たすことよりも煙の元に急ぐことを優先した。
何せ、煙は徐々に細くなりはじめている。
早くしないと、立ち消えてしまいそうだ。
「もしあれが俺と同じように不時着した船だったとして、それに乗ってこの星から祖星に帰る事ができたら、とりあえずビールを死ぬほど飲んで、肉を食う。キャラメルクランチ入りのアイスクリームをバケツ一杯分腹に入れて、警備庁に辞表を出したら、植民星に移住して、羊でも飼いながら一生船には乗らずに可愛いお嫁さんと子供達に囲まれて平和に暮らしてやる」
ぶつぶつと呪文のようにこれからの計画を唱えながら、前に進む。
地面は平らだったが、時折思いだしたように突起がある。
それに足を取られそうになりながらも、カナンは随分な距離を歩いていた。
もう乗ってきた小型船は、振り返っても確認できない。
しかし森はまだまだ遠い。
どうやら森は相当背の高い木々で構成されているようだ。
だけどカナンにとって、今それはどうでもいいことだ。
彼の頭は数年後に生まれる筈の娘と息子の名前を考えることで忙しい。
万が一可愛いお嫁さんに反対されたときに、説得するための由来まで考えている。
それは現実逃避だったが、カナンは学生時代の講習で、未開の地で長時間救助を待たなければならない場合、出来るだけリアルな空想で気を紛らわすようにと訓練されていた。
空想こそ、人間が発狂しないために必要な手段の一つなのだ。
「ああ、駄目だ。十六で娘が嫁に行くなんて耐えられない。どこのどいつだ、その男は」
三女が嫁に行く様を想像して、思わずカナンが頭を振ったとき、ようやく彼は森の入り口に立った。
煙はもう見えなかったが、かつてそれがあった位置を目指して進む。
森の木々は背が高いだけでなく、幹も太く、地表に露出した根はまるで大蛇のようにうねっている。
その根の周辺は、先程までとは違うふかふかしたコケやツタ、シダ類で覆われている。
その形状を見る限り、ここの環境はそう悪くはなさそうだ。
「蛇とか出てくるなよ」
フォボスのデータにはこの星に関する情報が少なく、どんな生命体が存在するのか何も分かっていない。
「やばい虫もやめてくれよ」
誰にともなく願いながら、カナンは先を進む。
森の中に入ると、先程までの熱さはなくなっていた。
酸素が少なくなっているのは分かっていたが、まだ宇宙服を脱ぐ覚悟はできていない。
毒性植物に無防備な状態で触れてしまうのは怖いし、肉食の昆虫や動植物がいる可能性もある。
学生時代に旅行で原始的な星に行った際、強い毒を持つカエルに触れられて、爛れた皮膚の治療に一年近くかかった事が未だにトラウマになっている。
そのときに体が小さくて派手な色をした生き物ほど強い毒を持っているという事を学んだ。
しかしその知識は今までずっと記憶の底に沈んでいた。
「基本的にPAL12309にはペット以外の生物がいないしな」
PAL12309はPAL系列の中で、最も発展した人工の星だ。
星は球体ではなく、皿のような形をしている。
その上と下に都市が築かれていた。
下には住宅街、上はオフィスや公的な機関がある。上と下の間は32段の階段結ばれていて、途中にある踊り場で重力が逆転する仕組みだ。
この階段は半径三百メートルに一つは必ず設置されている。
秩序は完璧に保たれ、犯罪は派生せず、あらゆる物が管理されていた。
動物も例外ではない。
持ち込まれる動植物は規則によって厳しく定められている。
虫も存在しない。
PAL12309に暮らせるのは、一握りの人間だけだ。
カナンもかつてはその一握りの一人だった。
12歳で軍学校への入学を認められて以降、辺境の星の警備兵になるまではずっとPAL12309に住んでいた。
そこで暮らすことは、優秀な人間であることの証明の一つでもあったし、ある種の人々にとってはステイタスだった。
「でも、俺は支給された船で一人暮らしする方が合ってるけどな」
その船も先程、半分以上が大破してしまった。
このままでは小型船での一人暮らしではなく、無人星での一人暮らしになってしまう。
服を置くスペースには困らないだろうが、快適な生活とはほど遠いし、そもそも服自体が手に入らないだろう。
もしここで暮らすとしたらまず水が必要になる。
食料は最悪の場合、草食になれば済むだろうが、一人きりで辺境の星で生活するには、必要な物が他にもたくさんある。
救助を呼べなかったとしたら、奇跡をこの星で待ち続けるしかない。
「歌でも歌うか」
ネガティブな方向に傾きそうになる自分を鼓舞するために、最近よく船のラジオから流れてきていた曲を口ずさんでみる。
それを歌い終わったとき、カナンの目に丸い船体が飛び込んできた。
大破して全体的に歪んでいるが、元はカプセル型の小型船のようだ。
それも巡回用のものではなく、迎撃用に作られた戦闘艇。
船体には複雑な紋章が入っている。車輪と炎はtazの国旗にも入っている紋章だ。
「また厄介な所の船だな……」
taz33と書いてあるところを見ると、どうやら同じワームホールに吸い込まれて、ここに吐き出されたらしい。
戦闘用なので、カナンの物よりは多少丈夫に出来ているようだが、再び飛ぶのは困難だろう。
高温で炙られたせいか機体は黒くなり、あらゆる箇所が凹み、一部は内側を露呈させている。
後方の木々が遠くからなぎ倒されているところを見ると、かなりの距離を滑ったらしい。
煙の正体が期待通り船であったことは喜ぶべきことだが、相手がtazというのは不幸だな、とカナンは空を見上げた。
無抵抗、という事をアピールしても、攻撃される危険がある。
性能のいい宇宙服を着ているので、ロケットランチャーでも撃ち込まれない限りは大丈夫だと思うが、攻撃的な連中だから油断はできない。
ゆっくりと相手を刺激しないように近づいていたが、あと数十メートルと迫ったときに、シダの茂みの中に転がっている球体に気付く。
一部の戦闘艇は有事の際に操縦者を守るため、操縦席が救命ポッドとして自動で切り離されるように作られている。これがそれだ。
煤で黒くなっているウィンドウをカナンが指先で拭う。
僅かな隙間から中を覗く事ができた。
人がいるのは見えたが、ベルトをしていなかったのか、黒い制服に包まれた体は前の方にだらりと垂れている。
「おい、大丈夫か!?」
宇宙服のスピーカーを入れて問い掛けたが、密閉された脱出用のポッドの中まで声が届くわけがない。
そのことにカナンが気づいたのはウィンドウを叩いたり、大声をだして中の人間の意識を取り戻そうと奮闘した後だった。
「そういや、外から開ける方法もあったよな」
軍学校に通っていたときに、兵器会社の人間から講義を受けた。
そのときにこのタイプの戦闘艇を捕捉した場合の対処法も学んだ。
「ええと、ここらへんに隠しレバーがあって」
パネルを五回叩くと、それが内側から持ち上がる。
一秒以内にスライドさせると、レバーではなくダイヤル錠が現れる。
アナログなのは、これがあらゆる電気干渉を受けずに済むためだろう。
「暗証番号……、あー……そうだよな、それがあった」
メモリは一から百まで、確か、七桁だ。
「七桁で、tazっぽい数字から攻めていくか」
愛星心の強い彼らだから、何か縁のある数字を使っているだろうと予想した。
解放記念日を入力する。
その途端、プシューと空気が抜ける音が聞こえ、ポットが空きそうになるのを慌てて押さえた。
「やばいやばい! 空気チェックしてなかった」
まさか一発で開くとは思わなかった。
カナンは慌てて宇宙服の空気分析のスイッチを入れる。
バッテリーをあまり消費したくなかったので、温度調節も空気分析も使わなかったが、急いでファンから空気を取り込んで含まれている成分を検査する。
フォボスの情報通り、空気に異常はないが、各項目の分析結果は全てレッドに近いイエローで表示されている。
PAL12309の各項目が全て白に近いブルーである事を考えると、クリーンとは言えないが、差し迫った危険はない。
カナンはヘルメットを取って、すうっと空気を吸い込んだ。
酸素は薄く、息苦しさを感じた。
しかし軍学校時代の高地トレーニングほどではない。
「これなら、いけそうだな」
それでももう一度ヘルメットを被り直したのは、そこらにヘルメットを放置するのが嫌だったからだ。
周囲にあるのが毒性植物でないと分かるまでは、ヘルメットに触れさせたくない。
節約のために酸素のスイッチをオフにして、フィルターから外の空気を取り込む。
もう一度ダイアルを回してパネルを開き、前のめりになっている男の体に手を掛ける。
まずカナンの目に入ったのは癖のある金色の髪だった。
それから細い項。
しかし体はしっかりと鍛えられている。
それは服の上からでも分かった。
肩に手を掛けて起こすと、どこまでも透けるような美しい白い肌が目に入る。
「男……軍人で……」
カナンは分かった情報を呟いた。
「それから、凄く……」
男の整った顔は軍学校に飾られていた戦いの神ジューンの彫像を連想させた。
男性器と乳房を併せ持つ戦いの神ジューンは、PALの住民が古代に信仰していた神々の一人だ。PALにはアニミズムが根付いていたので、多くの神々がいるが、今では殆どの人間が神の名前を10も言えないだろう。
既に、宗教はとっくの昔に廃れている。
しかし戦いの神ジューンは、軍学校にいたカナンにとって懐かしい存在だ。
凛々しく雄々しいのにどこか優雅で優しげなあの横顔が、目の前にいる人間と重なる。
(綺麗だ)
しかしその言葉の続きをカナンが呟く前に、男の目がぱちりと開く。
まるで最初から気を失っていなかったように、カナンの姿を認めると男は素早く、ブーツから細身の短刀を引き抜いた。
そしてきらりと光を反射する切っ先が、躊躇無くカナンに向かって突き出された。
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