2013/05/08

よなら世界 02



「っ、う……ぁ?」

  室内には煙が充満し配電盤の裏では火花が散っていた。
  船体の一部、燃料庫の真下に走った亀裂から、燃料が灰色の大地に広がり、後方の壁が剥
離した部分から、エンジンルームから揮発性の高い燃料の匂いが漂ってくる。
  エンジンはカナンが衝撃から目覚めると同時に、不気味な音を立てて停止した。

  PAL系列星は酸素や水を人工的に生み出すことに成功した豊かな星だ。
  そこで生まれたカナンは、当然のように清潔な酸素を消費し、不純物の少ない水で喉を潤
して来た。
  育った星の環境に応じて、生物の形態は変わる。
  一見しただけならば、始祖人と呼ばれる旧地球人と容姿は殆ど変わらない。
  しかしPAL系列星人の肺は小さく、その分心臓が大きくできている。
  これは意図的な改良ではなく、進化に任せた変容だ。
  よって多くのPAL系列星人と同様に、カナンも淀んだ空気には敏感だった。
  有毒なガスを含んだ空気が喉の奥にちくちくと刺さるような刺激を覚えて、カナンは一度
咳き込んだ。

  宇宙空間では上下左右の感覚はなかったが、今や体がしっかりと重力を感じていた。

  自分が逆さになっていると気付き、カナンはベルトを外して椅子から、かつては天井だっ
た床の上に着地する。
  すぐに機能するシステムはないかと探したが、どの機械も沈黙を守っていた。
  小型船とはいえ、宇宙空間を移動するために頑丈には作られていたが、ワームホールを通
過する事は想定されていない。
  科学が発達した現代においても、一部の学者が宇宙のクレバスと呼ぶワームホールに関し
ては、殆どが謎のままだった。

「生きてどこかの星に着陸できただけでも奇跡かもな」

  そう呟くと、カナンは操縦席のウィンドウの向こうに広がる景色を眺める。
  どうやら荒れ地らしいが、遠くに緑色の森が見えた。
  すぐにタブレット型コンピューターのフォボスを機体から外す。
  画面は真っ暗だったが、再起動させると問題なく動き出した。
  その事にほっとしたのも束の間、早速通信機能を試したが、何度やっても無反応だ。

「そう良い事ばかりでもないか」

  溜め息混じりにそう口にする。
  しかし通信機能以外のシステムは使えるようだ。
  祈るような気持ちで、現在地を表示させる。

  :NonE1-43F
  93.4#,33 s-324>4°mm43!sm303!ho12!!  24h

  星の名前と、PAL系列星の中心となるPAL12309星の基準地から24時に見た星の位置と距離
が弾き出される。
  元の位置からは凡そ、最新鋭の軍用機でも一年かかる距離だ。
  その事実から目を背けそうになりながらも、続いてこのNon星の詳細情報を検索する。
  結果、知的生命体は確認できていない事、三年に一度星間平和維持連合所有の無人偵察機
が巡回に近づく程度、という事が分かった。
  若い星ではなく、有害物質も特にはないが、氷河期が終わったばかりで知的生命体は期待
できない事と、埋蔵されている資源に関しても特にこれといって目立つ物がない事なども判
明した。
  数百年ほど前に一度はハビタブルゾーンの認定を受けているが、その後はテラフォーミン
グされた記録はない。
  この星自体に何らかの問題があるか、もしくは単純に他の主要な文明を持つ星々から遠す
ぎるのが理由だろう。

「特にこれといったものもないし、旅行者や発掘隊がふらりと立ち寄る可能性も少ないな」

  例えば無人であっても、太陽はその美しさから観光客が頻繁に向かう星の一つだ。
  見た目が美しくなくても居住に適していなくても、有用な物質を埋蔵している場合は、発
掘隊が頻繁に訪れる星もある。
  しかしデータによるとこの星には何もないようだ。

  有害な物質が外にない事は幸いだったが、だからといって手放しで喜べるような状況では
ない。
  そもそもすぐに健康被害を訴えるような物質がなくても、空気が綺麗でないこと自体、死
活問題だ。

  しかしあまり落ち込んでいる時間がないことは分かっていた。
  ウィンドウの外、小型船体の右翼の部分から火の手が上がっているのが見えたからだ。
  悲しみに浸るのを中断し制服の上から宇宙服を身に纏うと、緊急持ち出し用のバッグにフ
ォボスを入れ、亀裂が入っていた船から脱出した。
  船から十歩離れたところで背後の船が爆発し、その爆風で地面に投げ飛ばされる。
  幸いにも平らな地面と宇宙服のお陰で怪我はしなかったが、燃えていく船を見つめてしば
しの間、途方に暮れた。

「こんなことなら、一時の誘惑に負けなきゃ良かったな」

  国家憲兵隊にいた頃の失敗を思い返しそう呟いたときに、カナンの目は森の方で上がる煙
に気付いた。

  もくもくと上がるその黒い煙は、まるで狼煙のようだ。
  ワームホールが、カナンの船と一緒に吸い込んだ何かが燃えているのかもしれない。
  もしくは自然発火という可能性もある。
  しかし、そのときカナンにはその煙が希望を繋ぐ一縷の光に思えた。




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