2013/07/06

いで重ねる二年間  03








  あんなやり取りがあった後も、俺達の関係は良好だった。
  二学期が始まる頃には、最初は萎縮していた俺と同じ一年連中も、五条さんに慣れてきた。
  横暴で先輩風を吹かせることはあっても無茶な要求はしてこないし、ボンボンだからたまに奢って貰えるので、慕う奴は多い。
  インターハイの二回戦で負けた後、頭を下げる俺を前におろおろする五条さんを見たことも、他の一年が安心して彼と付き合えるようになった理由の一つだろう。

  それから思っていることが顔に出るところも、取っ付きやすい要素ではある。

「五条さん分りやすいよな、本当に」
「まぁ、そこが五条さんのいいところじゃん」

  なめられやすい要素でもあるけど。


  昨日の道具の片づけが上手く出来なかったため、一年全員でコートの周囲を一時間走るペナルティを部長から課せられたが、何周とは言われていない。
  みんな考えることは一緒で、できるだけ速度を落として体力を消耗しないように走っている。
  だからつい余裕ができて、コートの中の先輩方を観察してしまう。

  チームメイトの会話を聞いて、三年の女子テニス部の部長を目で追っている五条さんの横顔に視線を向けた。
  本人は自分の気持ちが周囲にばれているのに気付いているのかいないのか、ハーフパンツ姿で一年にフォームの指導をしている部長をひたむきに見つめている。

「でもあの人って、確か美術部の奴と付き合ってたよな」

  横で俺と同じくランニングをしている奴の台詞に、「マジで?」と聞き返す。

「そうだよ。だって、そいつがなんか賞とった絵って、確かあの人がモデルだったろ?」
「たまに部活終わりに一緒に帰ってるし」
「じゃあ五条さん失恋じゃん」

  そう言いながらも、少しほっとした。

  じっと見ていると、女テニの部長と不意に視線が合ったので、さりげなく逸らす。
  確かに、かわいい顔をしているが、地味なタイプだ。
  いつも黒髪を後ろで一つに縛っていて、ゴムもリストバンドもピンクで、女子らしい。
  先輩はああいうのが好きなのか、と意外に感じた。
  もっと派手できつくて、露出度の高い女達が食いつきそうな厳つい外見をしているのに。
  
「そういえば五條さんから借りたAVの子、女テニの部長に似てたな」
「マジで!?」
「見たい!」

  ぽつりと漏らした一言に、四方八方からチームメイトが食いついてくる。

「俺が間違って割っちゃったから無理」
「……なんだよー……」
「でもさ、言うほど可愛くなくね?」

  確かに可愛いか可愛くないかで言えば、可愛い。
  だけどクラスで二番目とか、三番目の可愛さだ。

「矢代は読モやってるから目が肥えてんだろ」
「お前、この間、シオちゃんと一緒にカフェでなんか飲んでたよな!?」

  チームメイトの台詞に、そういえば先月頭に取った写真が、今月号に使われたんだっけ、と記憶を掘り起こす。
  以前、街角で俺の写真を撮った雑誌社の人からどうしてもと頼まれて、本来だったらオープンしていない時間にカフェで、シオちゃんと渾名されているモデルと写真を撮った。
  確かテーマは休日デートだったけれど、親しそうに笑い合う写真とは裏腹に、実際の会話は「高校生っていいよねー、何も考えてなさそー」「とりあえず俺は今、昼飯のこと考えてますね」「あっそー、いいねー気楽でー。それよりこのサンドイッチまっずいねー。いらないから全部食べてくれるー?」だけだ。
  現実のシオちゃんは、「趣味&特技:人を笑わせること」から受けるイメージとは違って、掠れた低い声で眠そうに話す。
  撮影は早朝だったので、本当に眠かったのだろうけど。

「シオちゃん苦手」

「おま、贅沢すぎだろ!」
「ふざけんな!」
「じゃあ逆に、どんなのがいいんだよ!」

  そう言われて、思わずテニスコートの方を見てしまうと、横にいたチームメイトが「え、女テニ!?」と動揺する。

「シオちゃんより可愛い子、女テニにいなくね!?」

  頭に浮かんだのは、女テニじゃない。
  俺にも理由は分からないけれど、何故か五條さんが浮かんだ。
  でもそんなことを考えなしに口にしたら、俺の渾名が「ガチホモ」か「リアゲイ」になってしまうので「スコートが似合う子が好き」と誤魔化す。

「シオちゃん、スコート死ぬほど似合いそうじゃん」
「もっとスポーティな感じのがいい。ヴィクトリア・ハンテコバより、ルーシー・ウィリアムズみたいな」
「誰だよ!」
「女テニの世界ランカー。色白で長い髪よりも、色黒でショートで筋肉質のが好き」
「胸は?」
「揉み心地がよければどっちでも」

  そう答えながら、五條さんの胸はカチカチだろうな、と思う。
  時々背後から抱き締められるけれど、背中に当たる肉は固い。
  いや、五條さんは関係ないだろ。
  さっきからどうしたんだ、俺の思考回路。

「……俺、五條さんが矢代のこと、どつきたくなる気持ちわかるわ」
「お前も?  俺も分かった」
「え、なんで?」
「揉み心地がどうとかってのは、揉んだことある奴の台詞だよなぁ」
「お前は今、全童貞を敵に回したんだよ」

  チームメイトのその台詞に「いや、胸の大きさには拘らないってだけの話だろ」と返す。

「じゃあ、揉んだことないのかよ!」

  中学の頃は普通に彼女がいた。
  中学三年間で経験人数は二人だから、わりと少ない方だと思っていたけれど、チームメイトの反応を見る限り、それは言わない方が良さそうだ。

「あるけど、別に……」
「別にってなんだよ!  別にって!」
「これもう五條さんにチクるしかねぇよ。女の胸揉んで調子に乗ってるって言えば、きっと五條さんが締めてくれるよ」

  二人はどうやら、五條さんを使うことを覚えたらしい。
「五條さんに言うと面倒くさいだろ。どうせ最後は居残り練習付き合えって言われるし」
「いいんじゃねーの、女と遊ぶ時間があるなら」
  チームメイトは薄情さを滲ませて笑う。

  大体やっかまれても、今は誰とも付き合ってない。
  雑誌の撮影だって注目されたいわけじゃなく、遊ぶ金欲しさだ。
  もっとも素人モデルの謝礼なんて、スズメの涙みたいなものだけど。
  だけどそういうのに載ると、闘病中の母親が喜ぶんだ。

  体が弱すぎて、参観日や運動会に来られなかったせいか、昔から俺の写真や地域の広報誌なんかに載ってる俺の名前を見るのが好きなんだ。
  中学の頃、地方新聞の端にテニスで地区優勝したときの写真と記事が載ったときは、大喜びで何部も購入して親戚に送っていたし、たぶん今でも母親の病室にファイリングされて置いてあるはずだ。

「あ、五條せんぱーい!」

  水分補給のためか、五條先輩がフェンスすぐ傍のベンチに近づいた。そんな休憩中の先輩に向かって、横にいた二人が駆けだしていく。
  五條さんはスポーツ飲料の入ったボトルに口を着けながら俺達を見て、「ちょっと困ったな」という顔をした。
  ペナルティで走らされている最中なのに走り寄ってきた一年、に注意すべきかどうか迷っているのだ。

  そういうところが、なんかかわいい。
  いや、かわいいとか、思うべきじゃないんだろうけど。

  チームメイトから話を聞いて、五條さんの顔が「ちょっと困ったな」から「ちょっと面白いな」に変わる。

「矢代、来いよ。指導してやる」
「うーわー……」

  うんざりした声を出しながらも、内心は「ちょっと楽しい」と思っている俺も、どうかしている。
  なんだか最近、五條さんを見てると自分でもよくわからない感情が体を満たしていくんだ。でも不思議なことに、それがちっとも嫌じゃない。

「ペナルティで走ってなきゃならないんで」

  そう言って、フェンス越しに五條さんの傍らを走り去る。

「はあ?  待てよお前」
「ちょ、コートから出てこないでくださいよっ」
「お前、俺に足で勝てるとか思うなよ」

  突如始まった鬼ごっこに、周囲がにやにや俺達を見守っていることには気づいていた。
  そこに、女子テニス部の部長の視線があることも。
  逃げる最中に彼女とまた目があう。
  その眼差しには、潤むような熱が孕まれている気がした。












   
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