高校生に見えないほど大人びているのに、中身は気紛れで結構子供っぽいこととか。
コートの外での挑発にはわりと簡単に乗る癖に、肝心な所で頭を下げられこととか。
意外と冷静に周囲を見ていて、試合中は常に俺のメンタルにまで気を配ってくれていることに気づいたのはいつだったのか。
家庭環境や能力に恵まれている奴特有の自信家なところは時々鼻につくけど、一番大事な局面で俺は先輩を信頼して背中を任せられる。
勝敗を、委ねても構わないと思える。
そうと気づいたら、もう恋に落ちていた。
最初は苦手だった。
粗野な口調も、強面の顔も。
何より、一年しか変わらないのに先輩面で指図してくるのが、嫌でたまらなかった。
「矢代」
五條さんにそう声を掛けられて、渋々振り返る。
「なんですか?」
「付き合え」
「なんで俺なんですか?」
「お前とが一番相性がいいからだよ」
「五條さん、パートナーいるでしょ」
「俺はお前がいい」
部活が終了したときに目が合ったから、なんとなく声を掛けられる予感はしていた。
「……疲れてるんですけど」
先輩の命令は絶対でも、部活終わりにまた激しい運動をするのは気が乗らなかった。
何せ相手は俺の都合なんて考えずに、がんがん力任せに押してくる。
正直、一番苦手なタイプだ。
「いいから、付き合えよ」
おまけに横暴だ。
溜め息を吐いて、同級生のチームメイトに一緒に帰れなくなったことを告げる。
事情を知っている彼らは気の毒そうに俺を見てから「上手いと大変だな」と慰めるように俺の肩を叩いて、部室の方に向かう。
テニスコートに残されたのは、俺と先輩だけだ。
俺は溜め息混じりに、ケースから普段はあまり使わない方のラケットを取り出す。
ヒッティングパートナーに指名されるのは、これが初めてじゃない。
俺は自分で言うのもなんだが、コントロール力が高い。どこにどんな球を、と言われれば寸分違わぬ場所に指定のスピードと球種を打ち込める。
もちろん”ネット際に500kmのドロップ”とかいう無茶な注文でなければ、だけど。
「で、今日のオーダーはなんですか?」
自分より身長の高い男を見上げながら訪ねる。
五條さんは汗で湿ったプラチナブラウンの髪を掻き上げながら、思案するように視線を空に投げると、「任せる」と口にした。
練習したいものが特にないなら、相手は俺でなくても良いじゃないかと、ちらりと頭を掠めた不満を飲み込む。ぐだぐだ言っていても仕方がない。
「じゃ、適当に打ちますから。でも一時間したら帰りますよ」
「はぁ? 短けーよ」
「だって腹減ってんですよ」
「耐えろ」
「無理です」
もう既に頭の中は飯のことで一杯だ。
夕食はみそラーメンにチャーハンかチャーシュー丼、食えそうだったら餃子も付けたい。
そんな事を考えながら、スマホのアラームを一時間後に設定する。
コートに入ると、五條さんは楽しそうににやにやしていた。
子供みたいだ。強面が、少し和らいでいる。
こうなったら早めに疲れさせてしまおうと、オーダーがないのを良いことに左右前後に振り回してやった。
しかししっかりと全部返してくる。
(五條さん、上手いんだよなぁ)
実力はあるし、努力も怠らない。
ただ攻撃に意外性がない。
どのコースにどんなやつが来るか、大体読める。
それは、俺が人の表情を読むのが特別優れているせいかもしれない。
子供の頃から、大人の顔色を気にしていたせいで、変な特技が身に付いた。
「っん、はぁ」
ただ、場所や球種は大体想像できても、重い球は受け止めて返すのに苦労する。
相手は典型的なアグレッシブベースライナーだ。
「ぁあっ」
体勢を崩しながらも打ち返した球を、足下に決められて舌打ちする。
振り返ると、ネットの向こうで五條さんは平然としていた。
朝練、部活で消耗しているはずなのに、向こうはあまり息が上がっていない。
相変わらず、体力バカだ。
「えっろい声だすなよ。欲求不満か?」
「っ、重いんスよ! なんでそうスピンかかった強い球ばっか、ばかばか打ち込めんスか」
運動量は五條さんの方が多いはずなのに、俺の方がもう限界だ。
「速い球打つ方が楽しいだろ?」
「受ける方は、全然楽しくないんスけど」
「喋ってると余計に体力消耗するぞ」
そう言って、五條さんがにやっと笑う。
俺の体力がすでに限界だと知っているのだ。
自分の表情を繕うのは得意だったが、今は本心を隠す必要もないし、隠せるとも思っていない。
むしろこんなに疲れているのに協力してやっている、ということをもっと分かって貰うために、多少誇張してアピールしてもいいぐらいだ。
荒い息を吐き出して、コートを走る。
五條さんの相手はひどく疲れるが、良いことが二つだけあった。
それは一年でまだ部に入って間もない俺が、何時間もコートを独占して練習できること。
うちのテニス部は大所帯だから、一年はろくにコート練習ができない。
居残り練習も、一年がやると角が立つ。
五條さんに無理矢理やらされたと言えば、同情されることはあっても生意気だと誹られることはない。
もう一つは、速くて重い球を受けるのに慣れたこと。
おかげで新人戦で中学時代に敵わなかった奴に勝てた。
尤も、その勝利がこの居残りの賜であることを口にすれば、週に二度程度の付き合いが毎日になってしまう可能性があるので、伝える気はない。
「っ、」
がくがくになっていた膝のせいで、コートに躓く。
間抜けな事に、顎まで打ち付けた。
やっぱり、メリットよりもデメリットの方が多い気がする。
「う」
「お前、何やってんの?」
呆れたように、しかしネットを越えて五條さんが近づいてくる。
起きあがると「ちょっと来い」と腕を引かれた。
「なんですか」
痛む膝と顎のせいで普段より素っ気なく答えると、ベンチに連れて行かれる。
肩を押されてそのまま腰を下ろすと、五條さんは俺の足下に跪いた。
「え?」
「膝、すりむけてんな。部室戻ったら、治療してやる」
「あ、いや、自分で」
そう言いかけた足を掴まれる。
「なん……っ」
「さっき変な転び方しただろ」
シューズの裏に手を当てているのを見て、汚れる、と思ったが五條さんは気にした様子もない。
俺の足首に痛みがないことを確認するように、ゆっくりと動かされる。
「痛みは?」
「ない、です」
もう片方の足も、同じく可動域を試すように動かされる。
じっと顔を覗き込まれて思わず「なんですか?」と訊ねる。
「表情読もうと思ったんだけど」
「え、だから痛く無いって」
「お前、そういう事に関しては嘘吐くだろ」
「は?」
「前に、体調が悪いときに無理して部活出てただろう」
指摘されて、気づいていたのかと驚く。
そう言えば、あの日はやたらと五條さんに話しかけられた。
上手く誤魔化せていると思っていたが、なかなか侮れない。
「……なんでわかったんですか?」
「なんとなく?」
「勘?」
「勘、つうか、なんだろ」
「いや、でも今回のは本当に痛くないです」
俺の顔を真剣に見つめてくる一歳だけ年上の先輩を見ていると、途端に傍らのスマホがけたたましく鳴り出した。
その音にびっくりして肩が跳ねると、五條さんが「びびりすぎだろ」と笑う。
もう、時間らしい。
「いや、俺、音系駄目なんですよ。ホラー映画とかも、映像はどんなでもいけるんですけど、音だけはちょっと」
言い訳をしながら、アラームを止める。
いつもなら一時間といっても多少粘るのに、今回はあっさりと五條さんは練習を切り上げた。
部室に戻って先程の宣言通り治療されるときに、五條さんが珍しく「悪かったな」と口にした。
「なにがですか?」
「嫌がってたのに無理に付き合わせたことと、オーバーワークでお前の体に負担をかけたこと」
「は、いや、ちょっと転んだだけで大袈裟ですよ」
シリアスめいた雰囲気を吹き飛ばしたくて笑ったが、目の前の男は神妙な顔をしてもう一度「悪かったな」と言った。
会話はそれきり途切れて、五條さんはロッカーからバッグを取り出すと、肩にかける。
学校を出る頃には、きっと五條さんは二度と俺を居残り練習に誘わないんだろうな、と薄々感じていた。
部活後の居残りは憂鬱だったが、なくなると思うとつまらない。
少しだけ、得意な気分だったんだ。
強い先輩に、練習相手として直々に指名されることも、その分他の一年達よりも先輩と親しく出来ることも。
「……五條さん」
「なんだよ」
「飯、食っていかないですか?」
「はあ?」
「うち、今お袋入院してるし、父親は単身赴任だしで、いっつも飯一人なんですよね。居残り付き合ったんだから、飯付き合ってくださいよ。飯付き合ってくれるなら、これからも居残り付き合いますから。ね?」
「これからも」という部分を強めた俺の台詞に、五條さんはしばらく黙ってから「奢らないぞ」と口にした。
そのときの少しほっとしたような顔が、年上なのになんだか可愛く見えた。