2014/04/09

クリームとタバスコ 02








  絶対無理だ、ないな。
  下手したら殺されるかも、と怯えながら告白した後輩と付き合えることになって二週間。
  現在ベッドに押し倒された上で、めちゃくちゃ睨まれてます。


「おら、逃げんなよ」


  肉食獣を前にした、羽根を痛めた小鳥の気分です。


「いやいや、待って、マジで!  まって!」
「あ?」
「一回、一回落ち着こうな?  な!」


  こいつと同じ部の奴から「あいつにマウントとられたら、逃げるのは無理」と聞いていたが、それはどうやら事実だったらしい。

  腕力どうこうよりも、視線で身動きが取れない。

  俺ならまず肩を押さえるが、玄人は衿を持った状態で肘から先で首の辺りを締めるように押さえるみたいだ。

  今やられてるけど、圧迫感が笑えない。

  気を抜けばじいちゃんが雲の上から手招きしている姿が見えそうだ。
  俺のじいちゃん、両方とも生きてるけど。


「ここまで来て、あんた何言ってんですか?」

「いやいや、だってさ、前回すげぇ血出てたじゃん」


  告白して、付き合える事になった日、俺はこいつをお持ち帰りした。
  お持ち帰りしたっていうか、どちらかというと俺が俺の家にテイクアウトされた。

  もしかしてやられんの俺かな、ってぐらいの勢いで玄関に引きづりこまれて、乙女達の憧れるアレをやられた。相手が壁についた両手の間にいるというアレ。
  俺が中学生のときに彼女に借りてよく読んでた少女漫画あるあるな体勢で、逃げ場をなくされた上で強引にキスされて「あ、これ抱かれてもいいかも」と一瞬思った。

  そして固まっていた俺の首筋を、こいつはべろっと舐めてから『したかったことしねぇの?』と低い声で囁いた。

  マジで、半端なく男前だった。
  格好良すぎた。

  夢にまで見た夢のような現実が夢じゃないと分かって「うぉおおおマジで!?」と心の中で叫んだ。

  その時点で色んな物がマックスだったのに、こいつが服を脱ぎながら『俺、抱かれる経験ないんで、後は先輩に任せていいですか?』なんて言うから、今度は実際に声に出して『うぉおおおマジで!?』と叫んだ。
  『うるせぇ』って怒られた。
  
  でもその後がまずかったんだ。男同士で初めてだったのに、最初から最後まで全部やるべきじゃなかった。

  こいつが平気な顔で我慢することを、知っていたはずなのに。



「血なんて、大して出てねぇけど」

「うん、まぁ、靱帯いっちゃったり、骨折したり、意識落ちたりしてるお前から見たら大したことないんだろうけど、普通はアレ、大したことだからな」


  抱いたときは、テンパってたわりには、優しくしたと思う。
  時間かけて指でならして、ローションの代わりに台所にあったスプレータイプの生クリーム使って、ついでにゴムも使って、それでも終わったときには血が出ていた。

『うわ、マジで!?  痛かったなら言えよ!』
『大して痛くなかったですけど』
『嘘つけ!  血出てんじゃん!  いや、気付かなかった俺が悪いんだけど!』
『はあ、ちょっと血がでたぐらいで大袈裟じゃないですか?  うるさいですよ』
『お、お前落ち着きすぎだろ!  とりあえず消毒、まだ痛いなら病院も』
『ほっとけば塞がりますから。それよりシャワー先いいですか?  生クリームべとべとで気分悪いんですけど。こっちの方謝ってほしいです』
『え、あ、ごめんなさい』

  弱音も吐かずに非常に男らしかったが、実際歩くときには顔を蹙めていたし、翌日は「祝賀会での二日酔い」を理由に大学も部活も休んでいた。

  あれ以来、怖くて手を出してない。
  ああいうのは、お互い気持ちよくなるためのものであって、どちらかに我慢を強いるのは非常に間違っていると思う。

  だけど一週間経ったぐらいから、迫られはじめた。
  更に一週間のらくらかわしてたら、家の前で待ちかまえていたこいつに、部屋に連れこまれてベッドに押し倒されて現在に至る。

  一瞬のできごとだった。
  柔道部さすがすぎる。

「先輩のせいで溜まってるんですけど」
「いや、俺だって溜まってるけど、だって、すげぇ血が」

  そもそも前回の完治してるのかよ、とそっちの方が気になる。

「やってりゃそのうち慣れるんじゃないですかね」
「投げやりに言うなって!  とにかく、一回落ち着け。う、わ、そこ舐めないでください」
「ここ?」
「ひっ……ぁっ」
「先輩ここがいいんですか」
「あぁんっ駄目っ……、ってマジで駄目だから!  落ち着け!」
「いや、落ち着くべきなの先輩でしょ」
「わかった。じゃあ落ち着くから、触らないでマジで。落ち着けなくなるから。タイムタイム!賢者召喚!!」

  俺が本気でやる気がないと分かると、後輩はむっとしたようにベッドの端にすとんと座った。

  たった今、俺はこいつの下から逃れた数少ない男の一人になった。  
  すっごい睨まれてるけど。生命の危機を覚える程に。

  その視線から逃れるように顔を逸らし、いつの間にか外されていたシャツのボタンを留める。

  今日は午前中は仕事で、午後は大学の授業を三コマ受けた。
  授業といっても、教養科目だったのであまり真面目には受けていなかったが。
  そこでこいつに会って、『今日、部活終わったらいきますから』と言われた。

『でも俺、家帰るの12時すぎるかも。学校終わったら今度使う会場の下見に千葉まで行くし』
『じゃあ12時頃行きます』

  じゃあ今日は止めておきますって答えを期待したのは、こいつの明日の練習が午前休なのを知っていたからだ。
  部屋でそういう雰囲気になったら困ると思い、『いや、その時間はもう遅いし。眠たいと思うし、だからまた今度な』って断った。
  だから1時近くに帰宅したとき、こいつが家の前でぼんやり立っているのを見て驚いた。
  
  こいつが俺の言うことを聞かないなんて、今に始まったことじゃないけど。

「じゃあずっとしないんですか?」

  苛立った声で聞かれて、背中に嫌な汗をかく。
  こいつは基本短気だ。

  男らしくすぱっとした性格で、うじうじぐだぐだしてると「面倒くせぇ。だったら最初からやるな。一回始めたら最後までやれ」なんて言って、人の背中を蹴飛ばすタイプだ。

  因みに女の子にも同じ態度なので、よく「怖い」という評価を貰っている。
  スペックが高いのにあんまりもてないのは、そのせいもある。

  女友達も皆無らしい。
  前に俺の女友達と一緒に食事したときに『こっちにしようかな?  あ、でもやっぱりこっち!  ううーん、あ、でもこっちのほうが』とメニューを見ながら悩んでるのを見て、『俺、先に注文して先に食べてますね』とやっていたので、なんとなくその理由には納得がいった。
  

「ずっとじゃないけど、ならしてから?」
「やんなきゃなれねぇだろ」
「いや、ほら……指とか、もっと細いもの使って徐々にならしていけばいいかなって」

  俺だってやりたいけど、スプラッタは無理だ。
  好きな相手には、痛い思いなんてさせたくない。

  そんなことを考えながらどうにか説得を試みていると、不意に後輩はがしがしと黒い髪をかいてから「そんな良くなかったっすか?」と呟やいた。

「ち、ちげーよ!  良かったけど、良かったけどお前が痛いんじゃ意味ないだろ」
「だから、別に痛くていいって言ってんじゃないですか」
「やっぱ痛かったんじゃん!  駄目だろ、それは!」

  後輩がちっと舌打ちした。

  え、なんで舌打ちなの?  おこ?  激おこ?

  びくっと肩を震わせると「俺は、痛いのなんてどうでもいいぐらい、あんたとしたい」と言って俯いた。

  え、デレ?  激デレ?
  唐突なデレに呆然としていると、頼りない溜息が耳に届く。


「だから、痛いって知られるの嫌だったんだ」


  な、なんだそれ、かわいい。
  無意識で抱きついてきたときより、ずっとかわいい。


「あんたがしたくないなら、もう言わねぇけど」


  こっちを見ない後輩を、背中から抱き締める。
  鍛え抜かれた体は、どこに触れても硬く引き締まっていた。
  そんな中身も外見も、俺より断然男らしい相手にかわいいなんて、なんかおかしいけど。

  
  
「したくないわけないだろ。だから、徐々にって。いきなり全部、一気に終わらせなくても、いいんじゃないかな」



  やらしいことはしたいので、本番無しでならしていきたい。


「できなかったら……どこで満たす気なんすか?」
「は?」
「面倒臭いのは誰だって嫌じゃないですか。俺以外と、簡単に満たせるなら、あんたそっちのほうがよくなるかもしれないじゃないですか」
「あー……お前、だから痛いとか何も言わないで我慢してたわけ?  わぁ、なにそれ。方向性間違ってるけど、健気。かわいい」

  呆れながら本心を口にすると「うぜぇ」と低い声が返ってくる。

「そんなんで嫌になるなら、半年も片想いしてねーよ。付き合えるって分かってかなり浮かれてるのに、そんなんで駄目になるわけないだろ」

「浮かれてるように見えないんですけど」
「浮かれてる。お前のいないところでは」

  こいつを頻繁に連れ込めるように、寮の近くに引っ越そうかと考えてるぐらいには、浮かれてる。

「なんで俺の前だと浮かれないんですか?」
「緊張してるから、浮かれてるように見えないだけだろ」
「浮かれてるってより、びびってるように見えますけど」
「だから……俺、わりとテンパるんだよ。好きな子には」
「はあ」
「今度キスしてるときに触ってみろよ。心臓、すげーから」
「じゃあ、今お願いします」
「え?」
「どうぞ」

  そう言って、見るからに男前の後輩がじっと俺のアクションを待つ。
  瞼ぐらい閉じてくれないかな、と思いながら切れ長の黒い目を見つめてみるが、瞼を閉じるどころか視線すら逸らさない。
  
  どうぞ、と言われるとやり難い。

  背後からは角度的に辛いので、向き合ってからその肩に手をかける。
  首を傾げながら唇を重ねたとき、ほんの少し手の下の筋肉が動くのが分かった。
  
  ゆっくりと唇をなぞり、隙間から舌を入れる。
  迎え入れるように歯を開いた相手の咥内に入りこんで、粘膜同士をからませた。

  そのうち吐息が熱を孕んで、遠慮がちに指が俺の服を掴む。
  あんまり慣れてないんだろうな、と思いながら舌を吸うと微かに吐息に混じって声が漏れた。
  やってる最中も、滅多に耳に出来ないこいつの声は、低く掠れているのに妙に甘く聞こえる。
  
  唇を離してキスを終わらせたときに、後輩は相変わらず瞼を開いて俺を見ていた。

  ただ閉じきらない唇だけが、余韻を残して過剰な程色っぽく見える。

  もう一度塞いで仕舞いたい衝動を抑えて、濡れたままの口で首筋にもキスを落とすと、ほんの僅かに目の前の体が震えたのが分かった。

  そうか。
  自分が余裕が無さ過ぎて、俺が緊張してることにも気付かないのか。
  平気なふりを装うだけで、精一杯なのか。結局、俺の心臓に触れるのも忘れてるし。
  
  そこに気付いた途端、目の前の後輩を抱き締めていた。

「……締め方は甘いけど、それなりに苦しいです」
「あー……ちょっと我慢してろ。なんか、今、ぐああって来たのやり過ごしてるから」
「ぐああ?」
「こう、ブチ犯したい、みたいな衝動をこう」
「何やり過ごそうとしてるんだ。さっさとやれよ」

  男らしい台詞に「今度な」と告げると、後輩は何を思ったか「胴着、持ってきたんですけど」と脈絡のないことを口にする。

「うん?」
「……胴着、着てんの、後ろからするのがいいんですよね」

  なにそれ。
  俺のこと喜ばせるために持ってきたわけ?  
  
「先輩?」
「ちょっと、お前黙って。今、ぐああっていうのが、うぉおおって感じだから」
「なんすか、それ。上がったんですか?  下がったんですか?」
「上がってます」

「じゃあ、したらいいじゃないですか」

  俺の服を掴んでいた手が、背中に回る。
  体が密着したことで、たぶん俺の状態も伝わってしまっただろう。

「胴着、着た方がいいですか?」
「や、もう、俺、お前だったらわりと何でも興奮できるから、それは平気。とりあえず、今日は大丈夫です」
「そうっすか。一応、洗濯したやつ持ってきたんですけど」

「お前、マジでやる気で来たんだな」
「先輩に任せてたら、何にも進まないんで。相手の出方待つの、好きじゃないんで」

  確かに、こいつの試合を見ていると、じりじり間合いを計るよりも、ガッといって、バッと決めてキュッと締める感じなので、言いたいことは分かる。

「不安なのより、痛い方がいいんですけど」
「……ごめん、そんな不安だった?」

  ごめん、と謝りながら髪や顔にキスしていると「先輩」と、掠れた声で呼ばれる。

「あんた、今回は俺に負けろよ」
「え?」
「俺は、最後までしたい。あんたは俺のためかもしれないけど、最後までしたくないんだろ?  でも、今回は先輩に負けて欲しい」

  それから甘えるように俺の耳元に唇を寄せて「次にぶつかったときは、あんたの言うこときくから。今回は、俺の気持ちを優先しろ」と続けた。

  こんなかわいいワガママを言われたのは初めてだ。
  ぐああやうぉおおを通り越して、どうしようもないような衝動が、腹の底から湧き上がってくる。

「う゛ぉるけにっく、いらぷしょん」
「なんすか、それ」
「火山噴火です」
「は?  もしかしていったんですか?」
「いってない。お前の中でいかせて」

  そう言ってベッドに押し倒そうとしたが、倒れてくれなかった。
  体幹つええ。

  すると後輩は俺の意図に気付いて、自分からベッドに倒れてくれる。
  お気遣い、痛み入ります。

「次、何でぶつかっても俺の言うこと聞いてくれんの?」

  無防備に見上げてくる相手に尋ねながら、その服の中に手を入れる。
  いつも通り高い体温を楽しみながら首筋にキスを落とすと、びくりと指先が震えるのが分かった。
  
「変なのは、なしですけど」

  掠れた声を聞きながら「あのさ」と、こんな取引がなければ了承して貰えないだろうと、使いかけのスプレー缶のことを思い出す。

「……ローション、明日買ってストックしておくから、今日はとりあえずまた生クリームでいい?」

「あ?」

「俺の言うこと聞いてくれるんだよな?」

  剣呑な声にびびりながらも確かめると、不満げに唇を尖らせた後で後輩は「洗うの、手伝ってくれるなら」とふいっと視線を逸らしてそう口にした。

「責任持って舐めとります。自分、甘党ですから」

「甘党じゃなくて変態だろ。そうじゃなくて、一緒に風呂入りたいだけなんですけど」
  
  真意を読み間違った俺を焦れったそうに睨む後輩を前に、今回だけじゃなくこの先ずっと負け続けるような気がした。
  
  でもそれも仕方ない。

  俺はこいつを甘やかしたくてたまらないんだから。

「お前が望むなら」

  そう言って、馬鹿みたいに早い速度で動く心臓の上に、自分のそれを重ねる。
  すると恋人は安心したように綻ばせた唇から、目眩がするほど甘い台詞をくれた。














   
×
    

Copyright © 2014 成宮ゆり All Rights Reserved.