2013/10/07

la noria  01









「お前が歩こうって言ったんだぞ」
「だから、悪かったって」

  オーランドで知り合ったそいつは、海斗と名乗った。
  黒い髪を無精で肩の辺りまで伸ばしていて、遠くから後ろ姿を目にしたときは女だと思った。
  だけど腰は細いもののしっかり筋肉がついた体に、近づいてから間違いであることに気づいた。
  そのとき俺は30ドルで買ったポンコツに乗っていて、ヒッチハイクのために突き出された手を見て、車に乗せることに決めた。

『どこまで?』

  そう訊かれて「壊れるまで海へ向かって走るつもりだ」と答えると、海斗はにやりと笑って「壊れるまででいいから乗せてくれ」と答えた。
  それが一ヶ月前の出来事だった。
  結局車が壊れた後も海を見た後も、こうして一緒に旅をしている。

「この間は、行き先とは違う列車の切符買うしよ」

  さんざんだ、と海斗は言ったが、俺だってこいつの性癖のせいでかなり苦労している。
  海斗はバイセクだ。
  それは構わないが、質が悪いのは相手をあまり選ばないってこと。
  一緒に旅行して、三日で呆れた。

  明らかに堅気に見えない男や、親みたいな年齢の相手、ジャンキー女、相手の顔が少しでも好みなら、こいつは誰だって構わずにベッドに誘い込む。
  いや、場所はベッドに限らない。
  列車のトイレ、車、バーの裏手。
  俺が「食い物買ってくる」と十数分離れたすきに、車のボンネットの上に見知らぬ女を押し倒していたこともある。

  相手を選ばないから、トラブルにも頻繁に巻き込まれる。
  海斗が寝た女の夫が、仲間と共にショットガンを手にして追い掛けてきたときのことは、記憶に新しい。

  ポンコツと四駆でマイアミをカーチェイス。
  ポンコツが海に突っ込むシーンがエンディングでクライマックスだった。
  B級どころか自主制作映画みたいな幕切れで、俺は沈む車からバッグを持って慌てて泳ぎ出た。
  海斗も同様だった。
  連中は、俺達が死んだと思ったのか、車から降りずにそのまま引き返して行った。

  それが半月前の話だ。
  こいつと一緒にいたら、命がいくらあっても足りないと思ったが、元々旅をはじめたのは非日常を追い求めてのことだった。
  海斗と一緒にいる限り、それは好きなだけ味わえる。
  それに次第に迷惑をかけられることにも慣れて「まあいいか」と割り切るようになった。

  何せ、一人旅よりも二人旅の方が楽でいい。
  トイレの際には荷物の番を頼めるし、ホテルだってシングルよりもツインを二人で割った方が安上がりだ。
  強盗に襲われる確率も減る。
  それにお互い元々一人旅だから、嫌になったらすぐにコンビを解消できるというのも気楽だった。

「マジであそこでバス待ってりゃ良かったんだ」

  海斗の言葉に、二時間前に後にしたバス停を思い出す。
  八時頃に来ると聞いたバスは、一時間待っても来なかった。
  まあ、仕方ない。
  
「あんたが歩いた方が早いって言いだしたんだろ?」
「歩くって決めたのは博仁だろ」
「まぁ、そうだけど」

  海斗が今日に限って機嫌が悪いのは理由がある。

  昨夜、飲み屋で誘った女と海斗が店をでた途端に、彼女の父親が現れてこう言った。
『よくも娘を傷物にしたな』
  父親は海斗と誰かを間違えているようだったが、言い訳なんて聞いて貰えるわけもなく、こいつはプロレスラーみたいな体格の男に思い切り腹を殴られて、その場に崩れ落ちた。
  結局俺が仲裁に入って、それ以上喰らう事はなかったが、海斗はしばらく地面から立ち上がれなかった。
  
  不穏な地域も回るから、俺達は荒事にもそれなりに慣れている。
  しかし今回は海斗に加勢する気にはならなかった。
  若すぎる女に手をだそうとした海斗が悪いし、父親はそれ以上の暴力を奮うことはなかったからだ。

『あの子、多分ローティーンだったぞ』
『はあ、マジかよ?』
『海斗は相手を選ばないっていうか、相手に興味ないんだろ。次からは、もうちょっと用心深く相手を見ろよ』

  何度か同じようなニュアンスの言葉を口にしたが、海斗がそれを真摯に受け止めないことは分かっていた。

  そろそろコンビも潮時かもな、と俺はキューバの空を見上げる。
  次の町についたら、別々の道を行くのも良いかも知れない。
  どのみち、あと二週間以内で日本に帰らなきゃならない。
  帰りがけにいくつか寄りたいところもあるし、予算的にはLCCを利用するから、ゆとりをもった日程での帰国を考えるべきだ。

  しかしその次の町は一向に見えない。

  延々と畑の中を続く道には、ろくに標識もない。
  そのせいで自分達がどのあたりを歩いているのか、いまいち分からない。
  もしかしたらとっくに曲がるべき場所は過ぎているのかもしれないが、通行人もいないから尋ねることもできなかった。

  ただ、もうすぐ海辺にたどり着く。

  海岸沿いを歩けば迷うことはない、夜までにどこかの町にたどり着けるだろう。
  そこが旅行客を歓迎しているような開けた地域であることを願いながら、海斗の文句を聞き流す。

  社会主義国家が良いとか悪いとか、政治的な事を言うつもりはない。
  ただ旅行先としては、色々厄介なことも多い。
  特に日本人は、その不自由さに慣れていないから余計だ。
  旅行客と国民を明確に区別する態度に、ときどき閉口しそうになる。

  けれどこの国のシステムには不便さを感じているものの、この国自体は気に入った。
  気候も良いし、人も優しい。
  景色は長閑で、面倒な戒律には縛られておらず、物価も……上手く振る舞えば安くなる。

「シガリロは?」

  海が漸く見えてきたころ、海斗がそう言って俺を見る。

「一本あるけど、飲み物がもうないんだからよしとけよ」
「いいから寄こせ」

  溜め息を着いてリュックを探って、萎びかけたそれを渡す。
  煙草を吸うと喉が渇く。
  どうせ後で俺の分の飲み物を寄越せと言われるのだろうと予想しながら、ライターも手渡した。

  一週間ほど前に、チェ・ゲバラの顔が描かれた壁の前でヒネテーロにから買ったそれは、あまり味が良くない。
  だから一本だけ吸って後は捨てようとしたものの、海斗が「勿体ないだろ」と言ったので、リュックに仕舞った。
  結局、残り全部、こうして海斗が消費した。

「なぁ、つまんねぇからなんか面白い話しろよ」

  煙草を吸いながら海斗が強請るから「フロリダで遊んでたときに」と口にした。
  
「ヒッチハイカーを拾ったんだ。そしたらそいつは車の中で他のヒッチハイカーとやりはじめた。Hitch hiker  じゃなくて  Bitch hiker  だったんだ」

  因みにBitchには「あばずれ」以外にも「ぶつぶつ不満を言いまくる」とか「台無しにする」みたいな意味もある。

「面白くもなんともねぇ」
  
  こいつの節操がないばかりに車を台無しにされ、現在こうして不満をぶつけられているんだから、俺はこいつをそう呼んでも良い筈だ。

  じろりと睨むと、罰が悪そうに「大体、女役は滅多にしねぇよ」と口にした。

「死ぬほどどうでもいい情報だな」
「じゃあ死ね」

  海斗は尖った顎とを反らした。
  サトウキビ畑を通ってきた風が、彼の黒い癖毛をふわりと揺らす。

  確かに顔は良いが、浮薄な印象だ。
  年齢はお互い聞かなかったが、見た目は年上に見える。
  実際、こいつが傍若無人に振る舞うのも俺が年下だと思って馬鹿にしているからだろう。
  ただ、言動や行動は年齢よりずっと幼い。
  というより、考えが浅い。
  びっくりするほど浅い。

「あー……話してたらやりたくなった」
「サトウキビでも突っ込んでおけば?」
「だから女役は滅多にしねぇんだって」

  海斗はそう言うと、項を掻いた。
  そのとき、背後から車の音が聞こえる。
  一台のトラックが砂埃を上げながら近づいてきた。

「お、あれ停めるぞ」
「分かった」

  海斗と一緒に道の真ん中に出てハンドサインを出す。
  塞ぐように立つのは、そうしないとスルーされるからだ。
  もっとも本気で乗せる気がないドライバーはそれでも突っ込んでくるので、接触する前に飛び退く必要がある。

  今回は幸いなことに停まってくれた。

  乗ってるのは俺達より二十歳は上の男性だった。
  スペイン語で話しかけられ、海斗が運転席に近づく。

  こいつと旅をしていて良かったと思うのは、こういうときだ。
  英語以外の言語でも、海斗はスムーズにコミュニケーションを取れる。
  スペイン語とポルトガル語は余裕だし、以前フィリピン人のバックパッカーとも楽しげに向こうの言葉で話していた。

「いいってよ」

  海斗が荷台をさしたので、礼を言った後でタイヤに足を乗せて飛び乗った。
  海斗は助手席に乗る。

  道はがたがただったから、荷台はかなり揺れたが、歩くよりはずっとましだ。

  しばらく走ると海に出た。
  そのまま海沿いの道を走り、町中に入る。

  どうやら人口の多い町のようで、かなり人通りがあった。
  この分なら交通網にも多少は期待できると、再び礼を言って運転手と別れる。

「腹減ったよな。とりあえず宿確保して飯行こうぜ。俺、さっきの奴に良い宿聞いたんだよ」

  海斗の言葉に従って、町のメイン通りを外れて丘を登る。
  宿屋は三十分ほど歩いた場所にあった。宿というよりはアパートだ。
  しかし贅沢を言えるほど資金もない。

「一部屋ならあいてるよ」

  でっぷりと太った主人はそう言うと、俺達二人にパスポートの提示を求めた。

「あんたら風呂には入るのか?」

  そう聞かれて、思わず伸びた無精髭を撫でる。
  確かに綺麗な格好はしていないが、そんなに小汚く見えるだろうかと不安に思ったときに「シャワーが壊れてるんだよ、夕方までには直しとくから、入るなら後でな」と言われた。

「で、何泊だ?」

  その質問に俺は海斗を見て「俺は一泊だ」と答える。
  今までは「どうする?」と相談してきた。
  だからこの一言だけで、海斗は俺が別々の道を行きたがっていると気づいたらしい。
「じゃあ、俺も」と口にした後で「次はどこに行くんだ?」と聞いて来る。

  今までの海斗は「次は俺、トリニダードに行きたいんだけど」と相談とも着かない伺いを立ててきた。
  質問したのは、コンビ解消を了承したからだろう。
  元々、惜しむような繋がりではない。お互いに。

  主人から鍵を貰って階段を上がる。
  目当ての部屋を探す間、会話を続けた。

「とりあえずハバナ」
「とりあえずビール、みたいに言うな」
「軽く観光してから、飛行機でマイアミ行って、そこから安いルート探して日本に帰る」

  その前に海斗が色々な相手を怒らせたせいで寄れなかった、エバーグレーズにも寄りたい。

「帰るのか」

  意外そうに海斗が瞬きをする。
  そういえばお互い、日本での事はいっさい喋らなかった。

  別にそうしようと決めていたわけじゃなく、お互いに聞かないから話さなかった。
  大学に戻らないといけない。単位は足りてるけどゼミの研究発表があるんだ、と言いかけて止めた。
  折角旅行中なのに、”現実”の話はしたくない。

  部屋のドアを開けて中に入る。
  それほど悪い部屋じゃなかった。
  料金には見合っている。

「そっちは帰らないのか?」

  荷物を降ろしてそう口にする。
  ようやくリュックから介抱されて、そのままベッドで横になりたくなったが、空腹を満たす方が先だった。

「金が尽きるまでは遊ぶ」

  海斗はそう言って「じゃあ、今日は奢ってやるよ。車の詫びに」とリュックから財布を取りだした。

  一応は、悪いと思っていたらしいことを知って驚く。

  再び町に出たのは昼食には遅すぎるし、夕食には早すぎる時間だった。
  海斗が運転手から聞いた店に向かうと、常連らしき男達が店の外に溜まっている。

  店内に足を踏み入れると、やる気のない主人が、迷惑そうな顔で俺達を見た。
  テーブル席に座ったら、メニューと料理が出てくるまでずっと待つはめになりそうだったので、カウンター席に腰かける。

  スペイン語は読めないが、いくつか知ってる単語はあった。
  マニオク、という文字を見付けてそれを頼む。
  マニオクはキャッサバのことだ。
  色々な国を旅して俺なりに見つけだした法則だが、イモを使った料理はそれほど大きく外れることがない。
  しかしそれを海斗に言ったら「俺、イモ自体好きじゃねぇんだよな」と返された。
  こいつは肉ばかり食う。

  案の定、今回も肉料理を頼んでいる。

「お前、どこに住んでるんだっけ?」

  唐突な海斗の質問に、いち早く出てきた温いビールに口をつけてから「日暮里」と答える。

「実家がそこなのか?」
「実家は島根。大学が都内なんだよ。日暮里に住んでるのは、舎人で成田まで一本だから。そっちは?」

  俺の質問に海斗は「リッジウッド」と答えてからすぐに「契約は再来月までだけどな」と付け足した。

「じゃああんたも契約終了までにはニューヨークに戻るのか」
「まぁ、な。引っ越し面倒臭ぇんだよな。次の家もまだ見付けてねぇし」

  海斗が愚痴ったときに、料理が出された。
  意外と待たされなかったことに驚きながら、フォークに手を伸ばす。

「あんたら旅行客だよな。もしどこか行きたいところや、欲しい物があるなら、俺に相談しろ。手配してやるから」

  主人の言葉に海斗は「例えば、娼婦以外の良い女とかでも?」と尋ねる。

  こいつは全然懲りてない。

  二人が盛り上がっているのを横目にもくもくと食事をした。
  飯はそれほど美味いわけじゃないが、まずくもない。
  一皿食い終わってもまだいけそうだったので、追加で豆と鶏肉を煮た料理を頼む。
  そっちは幸いなことに、一皿目よりもずっと美味かった。

「その先に博物館があるから、行ってみたらどうだ?」

  主人はそう言って俺達を見てから「いい女に会いたいなら、帰りに  la noria  に寄れ」と笑った。

  店を出ると、日差しはほんの少しだけ傾いていたが、まだまだ沈む気配は見えない。

  主人には折角博物館を勧めてもらったが、そちらに行く気にはならずに海に行った。

  白い砂浜、美しい青い海、柔らかな空。

  キューバの浜辺はとても綺麗だ。
  どちらともなく浜辺に座ってぼんやりしていると、海斗が「観覧車に乗ったことはあるか?」と聞いてきた。

  脈絡のないその質問に「何度か」と答える。

「俺、あれあんまり好きじゃないんだよな。同じ所をゆっくりぐるぐる回るだけで、何が楽しいのか分からない」

「あんたジェットコースターって感じだもんな」

「でも、一人じゃないなら、観覧車みたいな緩やかな旅もそれほど悪くないな」

  海斗がそう言って俺を見る。

「あんたにとって、俺との旅は観覧車だったのかよ。俺にとってあんたとの旅はフリーフォールとジェットコースターの合わせ技だったよ」

「それ、褒めてるか?」

「褒めてな……、いや、どうなんだろ、まぁ、でも楽しかった。楽しくなきゃ、ここまで一緒に旅してないしな。うん、楽しかった」

  そうだよな?
  ちょっと疑問系だ。

「お前さぁ……日本に帰ったらまず何食う?」

「俺、いつも成田でお握り買うって決めてる」

「その後は?」

「牛丼」

「あー……いいよな、牛丼。ネギ多めツユダク最高だよな」

「俺はツユない方が好きだな」

「マジで?  分かってねぇな。話したら食いたくなってきた。もう日本に五年以上帰ってねぇから、牛丼とかマジで懐かしいわ」

「アメリカに日本のチェーンなかったか?」

「ああいうのは日本で食うから美味いんだろ」

「そういうもんか?  じゃあ、帰ればいいだろ?」

「親に殺される」

  笑いながら海斗が言った。
  理由は、聞かなくても想像が着いた。
  自由奔放すぎる性生活は、俺が親でも勘当したくなるだろう。

「節操を覚えろ。いい歳だろ」

「俺、いくつに見える?」

  難しい質問だ。
  中身だけで考えたら年下なんだが。

「たぶん、年上だろ?」

「お前いくつ?」

「21」

「ああ、じゃあ年上だな」

  海斗はそういうと、シガリロを取り出して口にくわえた。

「いつ買ったんだ?」

「さっきの店で」

  一本貰う。
  日本じゃ滅多に煙草は吸わない。
  必要性を感じないからだ。

  こっちで吸うのは、なんとなく暇を持て余してだ。
  日本だったらスマホを弄るような、ちょっとした時間にこっちではシガリロか煙草を口にする。
  
  日差しの当たらない木陰にいたが、やはりじりじりと暑さは肌を灼く。
  だけど海斗は宿に戻ろうとも、飲みに行こうとも言わなかった。

  俺も、海を見るのは嫌いじゃないから、ただ寄せては引く波を見つめる。
  耳を傾けてその音を聞いていると、まだもう少し遊んでいたい気分になった。
  日本に帰れば、ゼミの用事やバイトが待っている。
  
  ぼんやりと海を見てると、海斗が「お前、きっと俺と別れたら寂しくなるぞ」と笑った。

  ねーよ、と言い返そうとして、でもありえるか、と思い直す。

  喧しいトラブルメーカーは存在感抜群だった。
  だから確かに寂しくなるかも知れない。
  だけど調子に乗りそうだから言わなかった。

  肯定も否定もせずに「あんたこそ」と口にする。

  馬鹿にされると思ったが、海斗は「そしたら呼び出すから、何があってもかけつけろよ」と相変わらず偉そうに言った。























   
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