2013/05/01

the Devil next CELL a 01






  もしも俺が不動産会社のセールスマンなら、今住んでいる場所を魅力的に現すために、「動かずとも全てに手が届く」とコピーを着けるだろう。
  壁から壁まで二歩。小柄な奴なら三歩。
  鉄筋入りのコンクリートの内側をモスグリーンに、外側を茶色に塗った建物はあらゆる衝撃に耐えうる強固な設計で、地震の際にも安心して眠り続けることができる。
  窓は高い位置に着いている上に中庭に面しているため、外からの視線を気にすることなく、日中も快適だ。
  学校や公園から離れているため、子供達の騒ぎ声に悩まされることもない。
  隣人や上の住人はもちろん選べないが、それはどこの住居にも言えることだ。
  それから付け加えなければならないのは、この建物にとても高い技術が用いられているということだ。
  殆どのドアは手動でも自動でも開くようになっているし、照明も自動管理されている。
  管理人在中で庭とジム付き、プールはないがネット環境も整っている。おまけにあらゆる犯罪者の侵入を阻む、ほぼ完璧に近い防犯システムが常に可動している。
  閑静な場所にあるそんなマンションで生活するのに、月々幾ら掛かるか考えてみてくれ。
  そうすればいかにこの住居か恵まれたものか分かるはずだ。
  なにせ一番のセールスポイントは、ここが無料だってことなんだから。



  しかし、そんな魅力的な住居にもいくつか欠点は存在する。
  仕方ないことだ。
  あらゆる物事は良い面と悪い面を持ち合わせている。


  
  この住居の欠点は常に人目にさらされることだ。
  それから映画も本も許された物しか手に入らない。ネットも、許されるのは閲覧だけだ。可愛い女の子とチャットしたり、大統領にメールを送ることはできない。
  電話も時間が決められている上に、有料だ。けれど光熱費を支払う必要がないのだから、その程度の負担は諦めるべきだろう。
  しかし子供の小遣いのような日給しか貰えないのだから、俺がケチになるのも仕方ない。
  この住居の欠点は他にもある。
  プライバシーを守れる空間がほとんどないことだ。
  そしてこれが最大の欠点だが、犯罪者を侵入させない代わりに、出すこともない。
  何しろ、ここは凶悪犯ばかりがが集まるレベル:レッドの州立刑務所なんだから。





  従順な受刑者であれば、基本的に希望の職を選べる。
  勿論人気の仕事は抽選か、コネがいる。
  人気があるのは売店の店員や、各業務のマネージャーだ。ただマネージャーになるには、ある程度所内で実績を積むことが必要だ。その点は外の世界と変わらない。
  資格を持っている奴はそれを生かした職業についている。
  中で取れる資格もある。エンジニアの資格も取れるし、通信教育を受ければ努力と才能次第で博士号も取得可能だ。
  ただ、博士号を取るような奴は、ここではあまり好かれない。

  俺の仕事は電化製品の組み立てだ。
  この仕事を得るために、三年間所内掃除の仕事をしながら真面目に授業を受けて技師の資格を取得した。
  所内で尤も人気がないのは、その掃除の仕事だ。
  何せ、ときどきは死人の汚した後片づけをしなければならない。
  それも馬鹿みたいに安い賃金でだ。
  所内に転がる死体は殆どが、自殺とリンチが原因だ。
  病気の奴は俺達とは違う監房に移されるから、病死の死体を目にする機会はない。
  自殺とリンチの死体は悲惨だ。
  見た目もそうだが血、糞尿、吐瀉物で汚れたマットレスや床を洗うのはなかなかの重労働だからだ。
  生きている人間のそれと違って、死体のそれはまるで痕跡を留めようとするように、匂いも色もなかなか落ちない。
  もっとも、それは俺がまだまだ繊細だからそう感じてしまうのかもしれないけれど。
  作業中に服に汚れが着いた時は最悪だ。配給される洗剤や囚人が行うランドリーサービスは、外の物ほど優れていないし、外のように替えの服が何枚もあるわけじゃない。
  殺人犯が他人の服の汚れを丁寧に除去してくれるわけもなく、死臭の染みついた服で過ごすことになった日は、自分自身が生きているのか死んでいるのかすら、分からなくなる。その匂いを消したくて売店で市販されている強力な消臭剤や洗剤を買うと、一日の賃金がそっくり消えてしまう。笑える仕組みだ。
  話が逸れたが、とにかく世の中の連中は囚人は一日中税金で愉しく過ごしていると思っている。
  けれど実際、俺達は強制的にではあるが、規則正しく充実した毎日を送っている。
  外の社会で生き残れない奴は、ここでも生き残れない。
  ここで尊厳を持った日常を送りたいと思うなら、外で生きる以上のスキルが必要だ。

「エコ」
  仕事中に呼ばれて振り返ると、そこにはブラジル人のマネージャーとプラチナブロンドの男が立っていた。
どうやら今回の俺の相手は彼らしい。
「新入りだ。仕事を教えてやれ」
  その台詞に、俺は「これは?」と目の前にある中古のパーツを寄せ集めたパソコンを指さす。
  作業台に乗ったそれは、まだ組み立て途中だ。
「ブラウン」
  マネージャーは小柄な男の名前を呼ぶ。
  ブラウンは大手電機メーカーの下請けで家電の修理を請け負っていたが、その立場を利用して独身女性の家に侵入、盗みを働く際に家主の女性とその恋人に見つかり、結果二人を銃殺してここに収監されている。
  しかし垂れた目と眉から攻撃性を汲み取ることはできないし、菜食主義者で普段は暴力とは無縁の生活をおくっている。少なくともここではそうだ。
「悪いね、ブラウン」
  俺が軽く笑うと「いいよ。それより君、もう少し丁寧に繋げないのかい?」と中途半端な仕事の出来を見て、教師のように眉を顰めた。
  その小言を聞きながして、マネージャーと新入りに近づく。

「アントネッリだ。しばらくはお前が面倒を見ろ」

  新人教育は年が若い俺の仕事だ。
  面倒なので誰も引き受けたがらない。
  それに俺は見た目がいかついわけじゃないし、真面目な勤務態度なので、マネージャーからは新人教育に適任だと思われている。
  マネージャーは彼の名前だけ紹介すると、俺に背を向けて他の仕事に戻った。

「ヴィーゴ・アントネッリだ」

  プラチナブロンドが、そう言って顔を心持ち後ろの方に傾げる。
  見下してる態度だ。もしくは虚勢を張っている。

「エクトルだ」
「姓は?」
「知らなくてもいいだろ?  どうせ短い付き合いだ」

  俺は早速、中古の電化製品と道具一式を手にして、人気のない隅の作業台にヴィーゴを案内する。
  仕事をするに当たって道具を使ったことがあるかどうか訊ね、ないとの返事に溜め息を吐いて業務を説明する。

  しかし幸いなことにヴィーゴの手際は良かった。
  前回の奴は、ろくにドライバーすら握ったことがなかったから、これは喜ぶべきことだ。
  
  近くで見ると、新入りの顔が整っていることを嫌でも意識させられた。
  髪と同色の睫も、その下の緑がかった薄水色の目も。赤い唇も。
  身長は同じぐらいだが、俺よりも細身だ。
  名前からしてイタリア系だが、本当のところはどうだか分からない。
  どちらにしてもこの見た目じゃ犯られに来たようなものだ。
  
「ヴィーゴ」
「何だ?」
「お前、処女か?」

  俺の質問に、男が強い怒りと嫌悪感を覚えたのが空気を通して伝わってくる。
  マイナスドライバーを握る手に、力が籠もっていた。
  素直な奴だ。

「怒らないで聞けよ。これはお前を口説くための質問じゃない。もし誰が誘いをかけてきたら」
「俺に、アドバイスをくれるってわけか?」
「ああ。もし誰かがお前に誘いをかけたら、俺の名前を出せよ。自分の相手はエコだって」
「お前の?」

  品定めするような視線が体に這わされる。
  見聞するようなそれは不快とまではいかないが、心地がいいわけでもない。
  
「馬鹿にするな。お前の名前なんか出さなくても…」
「一対一なら勝てるかもしれないけどな、誰もがフェアプレイ精神に溢れてるわけじゃない。不特定多数の奴等からケツを守るより、もっと大事なことがお前にはあるだろ?」
「だからお前の女になれって?」
「いいや。俺の名前を出せと言っただけだ。ギャングに睨まれるのも、喧嘩の制裁で懲罰房に入れられるもの嫌だろ?」

  俺の台詞にヴィーゴは視線を室内に巡らせた。
  近くにいる禿頭の男は強盗殺人犯だ。牛を絞め殺せるような太い腕には、所属しているギャングのマークが入っている。
  その隣にいる俺よりも頭一つ分背の高い男は、傷害致死で一年前から服役している出戻り組だ。
  どちらも俺やヴィーゴより一回り以上でかい。

「お前の名前が抑止力になるのか?」

  侮りを含んだ口調に肩を竦める。
  確かに俺もそう強くは見えない。

「俺はどのギャングにも属してない。だけどどの組織にも顔が利く」

  ギャングだけじゃない。人種や罪状カテゴリーにも属していない。
  白人でも黒人でもアジア系でもない、メキシコとアジアのミックス。
  子供の頃は技術屋だった父親について、色んな国を回ったから故郷と呼べる場所もない。
  母親が離婚して、祖父母のいるこの国に来たが、結局祖父母もメキシコ移民だったから、自らのことを”アメリカ人”とは思っていない。俺も、自分のことを”アメリカ人”とは思えない。
  レイプ犯や誘拐犯はここでは軽蔑されているのでコミュニティを作るが、俺の罪状は性犯罪じゃないから、彼らの仲間にも入っていない。
  どこにもカテゴライズされていない人間は檻の中で無力だ。
  ただ、俺は例外だが。

「理由を聞いてもいいか?」

「所長に気に入られてる。それに気前もいい」

  その返答に、ヴィーゴは不愉快そうに顔を歪める。
  恐らく所内の殆どの連中と同じように、「所長の女」に対する嫌悪感を抱いたのだ。
  しかし考え直したように「見返りがあるんだろう?」と口にする。

「俺の名前を一回に使うごとに煙草二箱」

  ヴィーゴは顔をしかめたが、それで自分の処女が守れるなら安いものだとそのうち気づくだろう。

「それから、所内で何か困ったことがあれば俺に言えよ。大抵のことなら、どうにかしてやる。見返りにもよるけどな」

  ヴィーゴは何も言わずに、今度は俺の体を見てから「俺に解決できない問題を、お前が解決できるとは思えないね」と唇の端を片方だけ引き上げた。
  
「できるさ。それに、しなきゃならない。協力者と潜入捜査官は一蓮托生だからな」

  目の前の男の顔に驚きと戸惑いが浮かぶ。

「お前がへまをすれば、俺まで巻き込まれる。お前は仕事が終わればすぐに出ていくだろうが、俺はそうはいかない。協力者だとばれればどんな目に遭うか、想像できるよな?  質問には慎重に答えろ。この仕事につけるのは経験があるか、資格を持ってるやつだけだ」

  まだぽかんとしているヴィーゴを見て、「若い奴を送り込むなら、せめてもっとましな奴にしろ」と、上の連中に言ってやりたい気分になった。
  どう考えてもこいつは潜入に向いていない。
  秘密の質問もしていないのに、捜査官だということを否定もしないなんて、呆れる。

「一つの嘘がばれれば、他の嘘もばれる。姿勢と目つきもどうにかしろ。今のままじゃ、一発で捜査員だってばれるぞ」
「お前が、協力者か……。協力者は、俺に」
「”好きな花はなにか?”」
「”マトリカリア”。その質問をする前に、俺が誰か分かったのか?」
「本気で隠すつもりがあったのか?  この中にいる以上、一秒だって隙を見せるな。看守にも、見抜かれないように気を張れ」

  囚人からの説教に、ヴィーゴが鼻白む。

「減刑が掛かってるから、捜査には無償で協力してやる。それ以外は、例えばお前のケツを守ることに関しては有料で協力してやる。エリート捜査官にとっては、どうせ端金だろ?」

「馬鹿にするな。お前の名前なんて出さなくても、どうにでもなる」
  
「いいや。お前は今夜にでも、俺の名前を口にするだろうよ」
  
  ヴィーゴは眉根を寄せてから睨むように俺を見た。
  その整った顔を見ていたら、明日にはカートンで煙草が手に入る気がした。










   
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