2013/12/31

薇と鬼







「本日からこちらに配属になりました、寺山朔です。よろしくお願いします」

  そう言って頭を下げた新人を見たときに、厄介だな、と思った。
  
  立ち上げたばかりの部署は人手不足で、連日忙しい。
  そのせいで恋人とすら、上手くいっていなかった。
  過去の経験からこのままでは関係が終わるのは予想できたが、修復のために費やす時間も情熱もない。
  恐らく、彼女が長期の出張から帰ってきたら、決着がつくだろう。
  自分のことなのに、まるで他人事にしか思えない。

  私生活よりも、今は仕事の方が大事だった。

  長年温めてきた企画を実現できるかは、今の部署を軌道に乗せられるかどうかにかかっている。会議で明言した通りの成果が出せなかったら、企画は実現できない上に今後の出世も険しくなるだろう。
  肩書きに興味があるわけではないが、上に行けばそれだけ権限が増える。
  その分、面倒な仕事も増えるが、やりたいことをやれる立場というのは魅力的だ。
  元々、人に使われるのは向いてない。

「部長の加藤孝秋だ。まだ立ち上げたばかりで手探りの部署だから、色々やって貰うことになると思うが、分からないことは教えるからきいてくれ」

  そう告げてたとき、寺山はぎこちなく頷いた。
  微笑み慣れない引きつった口元を見て、社会経験だけでなく社交性にも乏しそうだと、改めて彼を寄越した人事に文句を言いたくなった。










「それで……新しい子はどうだったの?」

  北方は花弁を模したゼリーがきらきらと泳ぐカクテルを口に含みながら、首を傾げる。
  選んだ酒といい、わざと髪が流れるような仕草といい、相変わらず無駄に色気を振りまく女だ。
  確かに容姿は優れているが、中身を知っているので、長い付き合いだが一度も食指が動いたことはない。
  もっとも、彼女の狙いは俺ではなくカウンターの向こうにいる年下のバーテンだ。
  
「期待した人材じゃなかった?」

  黙ったままなかなか話し出さない俺を見て、促すように質問を重ねてくる同期に「まあな」と返す。

「でも、可愛い子よね」
「もう確認したのか?」
「若くて可愛い子にはめがないの。知ってるでしょ?」

  手は出すな、と警告しようとして思い直す。
  北方は一定の条件を整えた男にしか興味がない。
  その一定の条件を満たせる男は滅多にいないから、恐らく彼女は今後も週末を映画鑑賞か、俺とこうして飲むことに費やすことになるだろう。

「素直そうな良い子よね。ああいう裏表がなさそうな子は好きだわ。でも、かわいそうにね」
「何が?」
「あんなに若いのにあなたの部下になるなんて」
「どういう意味だ」

  軽く睨み付けた。
  自分の目つきの悪さは自覚している。
  大抵の人間はこれで黙るが、付き合いが長い北方は唇に浮かべた笑みを崩さない。

「だってあなたの教育方針って、獅子よりひどいもの。崖から這い上がってきた子供がぼろぼろになって動けなくなるまで突き落として、その回数をカウントするようなことをするじゃない?」

  開いた口は、否定することではなくグラスの中の酒を飲むことに使った。
  シェリー樽独特の香りを味わいながら、「這い上がってこれると分かっている奴しか突き落とさない」と言い訳をする。

「あまりいじめちゃだめよ?」

  その台詞にグラスの中身を飲み干した後で「あいつ次第だ」と答えた。























  寺山朔という名前の男の職務経歴書を渡されたときに思ったのは「若いな」ということだけだった。
  希望していた人材じゃないというのは、その年齢から判断できた。
  同時に、人事部が持て余している人材であるということも。
  連中が寺山のクビを切りたがっているというのは、誰に聞かずとも書類を目にしただけで分かる。
  しかし彼がいなくなったところで、新しい部下が入ってくる保証はない。

  経験がないなら経験させればいい。
  使えないなら育てればいい。
  
  だけど慈善事業じゃないんだから、悠長にやってる暇はない。
  だから最初から厳しく接した。

  しばらく一緒に仕事しているうちに、相手が第一印象とは少し違うタイプだというのが分かってきた。
  まず第一に、寺山はそれほど従順ではないということだ。
  確かに面と向かっては逆らわないし、指示には従うが、表情には不満だと言うことがありありと現れる。



「寺山」



  声をかけると、まだスーツすら着慣れていない部下が軽く唇を噛んでから、立ち上がって近づいてくる。  
  そんな子供っぽい仕草に、改めて年齢が若いことを思い出しながら、デスクの上に彼が作った書類をぞんざいに投げた。
  オフィスの他の人間は出払っている。寺山の指導係が現在出張中なので、彼の面倒をみる者はない。
  仕方ないので会議用の書類を作らせていたが、その出来は予想通り褒められるものではなかった。


「やり直せ」
「……あの、どこが悪かったんでしょうか?」
「参考に他の奴が作った物を渡しただろ?  それを見て自分で考えろ」
「……はい」
「会議で使うから、明日の朝までに仕上げろ」
「……」

  デスクの上の書類を拾い上げた部下は、俺と目が合うと「はい」と小さな声で返事をする。
  言葉よりもずっと雄弁な顔には「不服」が現れていた。
  それも道理かもしれない。
  最近は、こいつが作った書類はその殆どをやり直しさせている。
  できが悪いのだから仕方ないが、認められないというのはストレスになるだろう。

「仕事は、やります。でも今日は、残業できません」
「どういう意味だ?」
「……家に、一度戻りたいんです。夜中にまた会社に来て、仕事をします。それじゃ駄目でしょうか?」
「それなら自宅でやればいい。不特定多数の人間が使うような場所で作業されるのは困るが、自宅で作業するのは構わない」

  寺山に作らせているのは競合他社のレポートだ。
  神経質になるような種類のものではない。

「自宅にパソコンがなくて」

  その台詞を聞いて、道理で作業に時間がかかるわけだと納得した。

  キーボードを叩く速度も遅ければ、簡単なグラフを作るのにすら時間がかかっている。
  仕事に必要なのだから、自腹を切って購入し、自宅で習得すべきだ。

  知らず知らず剣呑な目つきになっていたのか、怯えたように寺山が視線を落とす。
  その指先が腕に填った時計をいじっているのことに気づく。

  初対面のときもそうだったが、俺の前でこいつはやたらと硝子をいじっている。
  そういえば部内ミーティングでプレゼンさせたときも、同じような動作を繰り返していたから、緊張しているときの癖なのかもしれない。

「それで?  どうするんだ?」
「ですから、一度戻ってそれから」
「今日だけじゃないだろ。ずっとそうやっていくのか?  確かこの間も、残業ができないって言ってたよな」

  寺山の手が、また文字盤を擦る。
  時計は安物だが、長く愛用された物のようだった。
  金メッキはところどころ剥げて地金の銀色が露出している上に、ベルトも随分と草臥れている。

「家に戻りたい理由はなんだ?」

  その質問に寺山は黙り込む。
  恋人と約束があるとでも言われたら、怒鳴りつけてやろうと思っていた。

  じっと俯いている顔は、まるで悪事を名乗り出ろと言われている子供みたいだ。
  罪を告白すべきかどうか、迷っている顔に「理由もなくできないっていうなら、お前の処遇を考える必要がある」と口にした。

「クビですか?」

  以前、一度仕事で失敗したときにも、こいつは同じ台詞を俺に言った。
  前にいた会社ではどうだったのか知らないが、そうそう会社は社員をクビには出来ない。
  寺山はそれを知らないのかもしれない。
  こいつは世の中のことを知らなさすぎる。

「質問に質問で返すな」

  苛立ちを隠さずにそう口にすると、寺山は俯きながら「弟が、二人ともまだ小学生なんです」と躊躇いがちに言った。
  寺山は愛想はないが、整った顔をしている。
  だから女が放っておかないだろうと思ったが、部下の口から出たのは予想外の理由だった。

「それがなんだ?」
「祖母が、夜勤のある仕事についていて、二人の夕食を俺が用意する必要があるんです。一番下は、まだ八歳で……」
「親は?」
「父は俺が子供のときにいなくなって、働いているところは違いますが母も祖母と同じ仕事についているので、夜は殆どいないんです。夜の方が沢山稼げるから、二人とも夜勤を入れていて」

  ああ、なるほどな、と腑に落ちた。
  使えないなりに、寺山が必至になって仕事を覚えようとしているのは知っていた。
  だからこそ残業ができない、ということに違和感を覚えていた。
  確かに小学生の子供を二人きりで家に置いておくのは心配だろう。
  しかし寺山が提案した方法が効率的とは思えない。

「分かった」

  そう言ってから昨日届いたばかりのノートPCを鞄から取り出す。
  設定を整えたばかりで新品のそれは、俺が使おうと思っていたものだが仕方ない。
  モバイル用のパソコンはもう一台ある。

「これを自宅で使って良い。それから夜に戻るのは非効率だから、早朝に来て仕事をしろ」

  寺山は伺うような目をして、俺と真新しいPCを交互に見つめる。

「分かったか?」
「……はい、でも」
「でも、なんだ?」
「いえ、なんでもありません。ありがとうございます」

  まだ寺山は戸惑った様子で頭を下げる。

「寺山」

  そのまま背中を向けようとするのを呼び止めると、びくりと肩を揺らせてから振り返る。

「……はい」
「クビになるのが怖いのか?」
「……はい」
「誰も簡単にお前をクビにはできないし、仮に誰かがやろうとしても俺がさせないから安心しろ。話は以上だ。もう帰っていいぞ」

  俺がそう言うと、寺山は唇をほんの少し奮わせてから、ぎこちなく微笑んだ。
  相変わらず遠慮がちな笑みだ。
  仕事と弟の面倒だけではなく、他に何か自分のために打ち込めることがあるのかと、柄にもなく他人の私生活のことを考えた。

  その日見た、ぎこちない笑顔が何故かしつこく頭に残った。


















「かわいいわよね、新しいあの子」

  会社の食堂で顔を会わせた同期入社の北方は、にやにや笑いながら俺を見ていた。

「またうちの新人の話がしたいのか?」

  そう訊ねると、北方はきょとんとした顔で「違うわよ。総務部の子の話がしたかったの」と否定する。

「ふうん。可愛い子っていわれると、自分部下のことだと思っちゃうんだ?」
「そんなんじゃねぇよ」
「可愛がってるんだってね。早朝出勤に付き合ってあげてるって聞いたけど」

  先程よりもにやにやしている北方から視線を逸らして、食事を再開した。
  ケバブを選んだのは失敗だった。
  味は気に入ったが、量が少ない。
  北方は俺の向かいでサンドイッチを食べているが、ピカタ風の鶏肉が挟まれているそちらの方が、食い出がありそうだ。

「でも良かったわね、男の子で。これで相手が女の子だったら、社内中からその子が目の敵にされちゃうもの」
「何の話だ?」
「あなたって意外とファンが多いのよ。私ほどじゃないけど。あなたと親しくしていて嫉妬されない女子って、私くらいじゃないかしら。女子は相手が自分よりも数段優れてるって明らかな場合は嫉妬しないで追従するのよね」
「女子って年かよ」

  北方は一瞬鋭い目で俺を睨んだが、すぐに微笑みを浮かべて「なんでこんなのがいいのか、本当に理解に苦しむわ。”仕事の鬼”がいいなんて、みんな物好きなのね」と口にした。
  俺だって、このナルシストで仕事を同僚に押し付けるための方法を常に考えている女を”薔薇”と崇めている連中の神経を疑う。
  
「でも可愛がってるみたいで安心したわ」
「特別扱いはしてない」
「そうかしら?」

  何もかも見透かしたような顔をする北方が気に入らなかったのと、空腹を満たすために彼女のプレートから一つサンドイッチを貰った。

「行儀が悪いわ」

  文句を言う北方の前から、仕事に戻るために立ち上がる。
  
「俺から国士無双で48000点も持って行ったんだ。これぐらいよこせ」

  勿論、彼女が俺から持っていったのはそれだけじゃない。
  一点一円換算の勝負で、今までボーナス一回分以上吸い取られている。
  カシノでもブラックジャックでも、チェスでも、将棋でも、テーブル上のゲームでは殆ど勝てない。
  尤も、それは俺以外の奴にも言えることだ。
  そのせいか、北方は自分よりも勝負に強い男が好きだ。
  勝ち続けているから、自分に「負け」を味合わせてくれる男に魅力を感じるらしい。
  
「だってあなた、表情に出るんですもの。感情を隠せないのね。ポーカーフェイスの作り方、教えてあげましょうか?」

  先週末、雀荘での完封試合を思いだしたのか、北方は途端に鷹揚な表情になる。
  グリーン台に乗せられた、三人分の掛け金を集める瞬間のことを回想すれば、サンドイッチ一つに腹を立てる気持ちが失せたのだろう。

「結構だ」

  そう口にして咀嚼したものを飲み込むときに、視線の端に寺山が映る。
  俺達に気づいたようだが、すぐに視線を逸らした。
  それから思い直したようにもう一度俺を見て、軽く頭を下げてから、トレイを持って窓辺の席に向かう。

「怯えられているみたいね。愛情が正しく伝わってないのかしら」
「部下からは怯えられるぐらいが丁度良い」
「彼のために特別に心を砕いてるのに、報われないわね」
「何度言えば分かるんだ?  特別扱いはしていない。思い込みが激しいだけじゃなく、物覚えも悪いのか?」

  きつい口調で否定したが、北方は臆した様子も見せずに「自覚してないだけでしょ」と唇を歪める。

  その笑い方が俺をフォールドさせるときの笑みと同じに見えた。
  北方がそういう風に笑うときは必ずと言っていいほど、俺が負ける。






   
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