2013/08/13

する回路









「何やったら喜ぶのか、全然わからないから、もしかしたら要らないかもしれないけど」

  誕生日なんて自分でもすっかり忘れていた。
  二十代も後半になれば、生まれた日なんて特別でもなんでもなくなる。
  だから今日、恋人である西荻から仕事の帰りに食事をした後で家に行っていいかと訊かれたときだって、ただ週末だから来るのだと思っていた。








  当然家に来るならそういうことをするつもりだった。
  西荻は午後出勤予定があるが、明日の午前中は空いているし、俺も普段とは別口の仕事があるが、そちらはどうせ家でやるのでどうとでも都合を付けられる。
  先週末は会えなかった分、触れたいという欲は溜まっていた。

  シャワーを浴び終わって、ベッドに凭れながらペルシャ絨毯の上に少し緊張気味に座っている恋人を見たらその欲が一気に膨らんで、相手が風呂に入るのを待てなくなった。

  普段の西荻は同じ部署の人間からは若干遠巻きにされているほど、年齢に見合わない完璧な仕事をする。俺達制作部が戦々恐々とするぐらい、大口の契約を何件も取って来るがそれを驕る事はなく、こっちが心配になるほど日々忙しなく働いている。

  見た目も良くて仕事も出来る。
  女性に対しての気遣いも完璧だから、西荻に好意を持っている女子社員は多いし、うちの弟は兄である俺よりも西荻に憧れている。

  だけど、完璧なのは他人の目があるときだけで、俺の前では年齢相応に失敗もするし、部屋で酔うと子供みたいに無防備になる。
  拗ねたり詰られることも多いが、たぶんそれは不器用な西荻なりの甘えなんだろう。
  人間関係は苦手だと言っていたし、恋愛に関しては特にぎこちなさが目立つ。

  元々仲がよくない上に、お互い男同士で付き合うのは初めてなので、多少ぎこちないのは仕方ないのかもしれない。

  だけど物怖じしない普段の仕事ぶりを知っているだけに、職場とはうって変わって所在なさげに部屋で固まっているのを見ると、堪らない気分になる。

  一度、行為に及んでしまえばリラックスするのに、する前はいつも借りてきた猫みたいに部屋の一点でじっとしている。

  早くこの部屋でくつろいでいるのを見たくて、抱き寄せてなし崩しに行為に持ち込もうとしたら、「まだしない」と拒絶された。

  俺が適当な性格をしているので、西荻を苛立たせることが多く、今回も何か怒らせてしまったかと、逸る気持ちを抑えて理由を聞くと「プレゼント渡してないから」と、言いにくそうに告げられた。

  そのときにようやく、自分の誕生日が今日だったと思い出す。
  そういえば一、二ヶ月前に欲しい物を訊かれた気がする。

「だから今日、無理矢理残業終わらせたのか」
「だって俺と会わなきゃ、智空はすぐに誰かと飲みに行きそうだから。友達はたくさんいるみたいだしな」

  咎めるような目を向けられて、西荻が未だに俺と専門学校時代の友人であるタツミとの仲を疑っている事に気づかされた。

  タツミはたくさんいる友人達の一人で、勿論恋愛感情はない。
  そもそも同じ男に対して、肉体関係はともかく、恋愛感情を持ったのは西荻が初めてだった。
  たしかに、タツミはゲイで整った顔をしているが、肉欲を含めて友情以上の物を感じたことは一度もない。

  しかも最近タツミは俺ではなく、西荻に興味を持っている。

「いや、さすがにこの歳で友達と誕生日を祝うとかないから」

  弁解しつつも、誕生日だ結婚記念日だと友人達を毎回何かにつけて呼び出すパーティマニアの、専門時代の同期の姿が脳裏を過ぎった。
  少なくとも月に一度は、何かしら名目を着けて自宅でパーティを開いている。
  今度恋人を連れてこいと言われているが、西荻と弟を会わせたときのことを思い返すと、過去の余計なことを暴露されそうで怖い。

  そもそも西荻は男と付き合っていることを他人に知られるのは、好きじゃなさそうだ。
  西荻のマンションの更新が来る前に、同居を提案しようと考えているのに、険悪になるのは避けたい。

「そうだよな。わざわざ誕生日に託けなくても、よく飲みに行ってるみたいだしな。辰巳達也と」
「ただの友達だって」

  タツミが以前面白半分、八つ当たり半分に俺に気がある素振りをして西荻を挑発したせいで、疑いがなかなか晴れない。

「別に本気で何かあるって考えてるわけじゃねぇけど」

  西荻はたじろいだ俺から視線を逸らせると、「智空は意外とそういうところは真面目だしな。向こうはどうだか知らねぇけど」と詰まらなさそうに呟く。

  先程までの良い雰囲気が一気に悪くなってしまったことに戸惑いながら「俺が好きなのは恭平だけだよ」と言うと、少しだけ西荻の機嫌が持ち直す。

  ありえない浮気疑惑を吹き飛ばすために言葉を重ねていると、西荻はようやく「もう分かったから。誕生日なのにいきなり突っかかって悪かった」と態度を軟化させた。

  そのことにほっとしている俺を余所に、西荻は手を伸ばして自分のバッグを引きよせると、「何やったら喜ぶのか、全然わからないから、もしかしたら要らないかもしれないけど」と前置きをしてから平たい箱を取り出す。


「……気に入らなかったら、無理に使わなくていいから」


  付き合ってから知ったが、西荻はわりとネガティブだ。
  初めて俺の前で料理を作ったときも、散々「うまくできねぇから」と前置きをされた。
  ついでに言えば、ベッドで上に乗って貰ったときも同様の前置きをされた。
  前者はたしかにそうだったが、後者はかなり良かった。
  今思い出してもついついにやけてしまう。

「ありがとう」

  弛む口元をなんとか引き締めて薄い箱を開けると、中に入っていたのは藍色の手帳だった。
  
「嬉しい。来年使わせて貰うよ」

  ぱらぱらと捲ると、白い紙の間から濃さの違う水色のスピンが二つ出て来る。
  内側のフォントも色が付いている所は青系で統一されていて、落ち着いた雰囲気だ。
  余計なページがなく、デザインがシンプルなのも好みだった。

  俺が気に入ったのが分かると、西荻はようやくほっとした顔で「それ俺も仕事で使ってるやつで、使い勝手がいいから」と口にした。
  たしかにレザーの色は違うが、似たようなやつを西荻も持っていた。

「デザインの仕事してる奴に、そういうの贈るのって結構緊張するな。智空が欲しい物は特にないとか言うから、何やったらいいのか随分迷った」

「じゃあ人に聞いたりした?」

  西荻がQ&Aサイトを利用していた事を思い返して訊ねると、西荻は「人に聞いて選んだら意味ないだろ?」と、真面目な顔で答える。

「そういうのを選ぶのは、付き合ってる奴の仕事だと思うから」

  その返答に思わず抱き締めたくなった。
  

  実は、Q&Aサイトはあれ以来見ていない。
  西荻の日常を盗み見ているようで、少し後ろめたい気がするからだ。
  しかしその後ろめたさと好奇心はもうすぐ拮抗する。

  何せ最後に見た質問が印象的すぎた。

  あれを思い出す度に何とも言えない幸せな気分になる。
  あの日、帰った筈の西荻がわざわざ一言言うためだけに戻ってきてくれたことを考えると、照れと愛しさが混じったような温かい気持ちになれる。

  普段は甘いことを一切言わない分、俺が知らないと思ってまたあんな質問をしているんじゃないかと想像するだけで、見たいという欲求が膨れる。
  だけどその反面、知らないまま西荻の行動を楽しみたい気持ちもあった。
  いわばQ&Aサイトを見るのは、これから渡される予定のプレゼントの中身を盗み見る感覚に似ている。

「恭平」

  貰ったばかりの手帳を箱にしまい直して、ローテーブルの上に置く。
  
「もう一つ欲しいのがあるんだけど」

  絨毯の上に落ちている手の上に自分の手を重ねてそう口にすると、西荻は真っ赤になってから「体?」と訊いてきた。
  思わず笑うと、ますます赤くなって恥ずかしげに顔を伏せてから「ちげぇの?」と、ぼそぼそと口にする。

  本当は「好きだ」とまた言って貰おうと思っていた。
  だけどそういうのは、強制的に言わせるものじゃない。
  というよりも、真っ赤になって恥ずかしげにしている顔を見ただけで、わりと満足してしまった。

「欲しいのって何?」

  返事をしない俺を促すように、西荻が俯いたまま聞いてくる。

「キスして欲しいかな。もちろんその後で体も貰うけど」

  というよりももう、全部俺の物だけど。
  ホテルで触れたときから、放す気はない。
  この先もずっと俺の物だ。
  普段何事に対しても興味が薄い分、西荻に対しては殊更強く執着心を持っている。
  きっと西荻はそのあたりをまだ正しく理解していない。
  でも、それでいい気がした。執着の強さを知られて、怯えられても困る。

「なんで笑ったんだよ。あってただろ」

  赤い顔のまま拗ねる西荻に「かわいかったから」と言い訳をした。

「理由になってねぇよ」

  文句を言いながらも、西荻はそろりと俺の肩に手を置く。
  目を閉じて待っていると、ゆっくりと唇が押し付けられた。
  触れるだけのキスを何度か繰り返してから、西荻が唇を離す。

  瞼を上げて、視線だけで「もっと」と訴えると、もう一度唇が合わせられる。
  段々とエスカレートしていくキスを味わうのは楽しかった。
  健気に唇の辺りで動く舌がくすぐったくてふっと笑うと、むきになったようにそれが深く入りこんでくる。
  だけど俺が強く吸うと、逃げるようにするりと離れた。

  勝ち気なんだか、小心者なんだか分からない性格がよく現れている。
  それでも止めようとはせずに、もう一度おずおずと入ってくる舌に自分のそれを、今度はやさしく絡める。

「っ……ふ」  

  西荻からこんなにたくさんキスをしてくれることは滅多にないから、誕生日特権だと存分に楽しんでいると、「なぁ」とキスの合間に声を掛けられた。

「まだ?」
「折角だからもう少し」

  唇の感触は柔らかくて心地よくて、触れても触れても足りないような気がした。
  時折肌を掠める西荻の吐息が熱くなっていることにも煽られながら、キスを繰り返す。
  しかし唇は唐突に離れてしまった。
  
  残念に思って目を開けたとき、西荻が俺の肩に顔を埋める。

「キスは、他のことしながらでも出来るだろ」

  耳がうっすらと赤くなっているのを見下ろしていると、西荻は反応のない俺に行動を促すように、「体も貰うんだろ?」と付け加えてから、腕に小さく爪を立てた。
  焦れている気持ちをストレートに伝えてくる指先に、熱をうつされる。

  思わず、閉じ込めるように目の前の体を抱き締める。
  びくりと小さな頭が揺れた。
  自分で誘いをかけたくせに、そんな反応を返してくる西荻に、また口元が弛んでしまう。

「くれる?  誕生日だけじゃなくて、これから先もずっと」

  俺の質問に西荻はそろりと俺の肩から顔を上げる。

「……お前に求められるんのは嫌じゃない」

  赤い顔で照れたように、だけどまっすぐに合わせた目を逸らさずに西荻が微笑んだから、俺の理性はやっぱり古い輪ゴムのように簡単に弾けてしまった。




















   
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